第四章 ウェストフィリア・海洋調査 ~調査のオファー (5)

一人の心が動けば、何かが変わる

マイニング社に疑念を抱くヴァルターは、ウェストフィリアの深海調査に協力する引き換えに、潜水艇からの実況中継をさせろとオリアナに迫る。
権力志向のオリアナは「あなたの立派な正義感も、マイニング社にとってはただの雑音に過ぎない」と揶揄するが、ヴァルターは「善意は波のように広がり、貴い教えは鉱石よりも長く続く」と反論する。
同僚のゾーイはヴァルターの案に難色を示しながらも、どうせやるなら、世間にさんざん馬鹿にされた方が諦めがつくとユーモラスに励ます。

5

翌朝。

彼は一番にオリアナに電話し、「行くよ」と返事した。

「有り難いわ! これで深海調査は万全ね。今、セントクレアの区政センターに来ているの。十一時にシーサイドパークの関連企業を訪ねて、その後は特に予定はないから、海沿いのビストロで一緒にランチでもいかが」

「君と食事しながら話さなければならない事でも?」

「私たち、一緒にウェストフィリアに行くのよ。細かい段取りや調査の目的など、直接会ってお話したいことがたくさんあるわ。それとも私と二人でビストロに行ったら、ひどく焼き餅をやく人でもあるのかしら」

「……わかった」

「用事が済んだら、あなたに電話するわ。手間は取らせないから、必ず出てきてよ」

オリアナは弾むように言うと、一方的に電話を切った。

*

午後一時、指定された場所に出掛けると、海沿いのビストロがすぐ目に入った。

店内は明るい南仏風のインテリアで、明るいラスティックパインの木製テーブルと同素材のアンティークチェアがカジュアルな雰囲気を醸し出している。裏手のテラスにも白いガーデンチェアの客席を十席ほど設け、そこから弓形の海岸がきれいに見渡せる。リズが一緒なら、どれほど喜ぶかしれない。

だが、今彼を待ち受けているのは、何を考えているのかさっぱり読み取れない黒ずくめの女だ。相変わらず身体の線を強調したデザイナーブランドのワンピーススーツを身につけ、カトレアのような色香を漂わせている。

彼の姿に気付くと、オリアナはすぐに立ち上がり、

「オファーを引き受けて下さって、どうもありがとう。ベテランのあなたがサポートして下されば、新米パイロットも大船に乗った気分ね」

と大仰に言った。

「それで、俺の提示した条件は呑んでもらえるんだろうね」

だが、オリアナはそれには答えず、ウェイトレスを呼び止めると、「この方にもコーヒーをお願い」と一方的に注文した。

「俺は紅茶派だ」

彼はレモンティーに変更すると、強い口調で言った。

「ウェストフィリアの広報だ。忘れたとは言わせない」

「ああ、実況とか何とか言ってたやつね」

「俺も職業意識から今度のオファーを引き受ける。だから、君たちも企業としての誠意を見せて欲しい」

「それは非常に難しいわね」

「どうして」

「資源探査は企業機密に相当するのよ。まして公社となれば、国家的な資源戦略に関わる部分も大きいわ。それを逐一レポートするなど、新製品の開発現場をご覧下さいと言うようなものじゃない。そんな常識も理解できないの?」

「企業機密や政府の資源戦略に関わることまで公にはしない。俺はただウェストフィリアがどういう所で、何の為に海洋調査を行うか、広く知らしめたいだけだ」

「公社には公社の方針があるの。部外者のあなたに口を挟む権利はないわ」

「君は一度でも公社の誰かに是非を確かめたのか? 自分の中で勝手に結論づけて、話を揉み消そうとしてるんじゃないか」

「人聞きの悪いことを仰らないで。私は常識ってものを、あなたに説いて聞かせてるだけよ。あなたが考えを公社の上層部に話しても、どうせ一笑に付されて終わり。大勢の前で恥をかく前に、私の方で善処してあげてるんじゃないの。むしろ感謝して頂きたいほどよ、ヴァルター・ラクロワさん!」

「その名で俺を呼ぶな」

「どうして? 本名でしょう」

彼が気色ばむと、オリアナは「くっく」と肩で笑い、

「勿体ぶって正体を隠すのね。知れたところで何がどうなるわけじゃなし。案外、アルバート大伯父さまも、あなたがラクロワ家の一員で、親が死んだら莫大な遺産と権利を手にすることを当てにしてるんじゃないの」

「いい加減にしろ。皆が皆、君やファルコン・マイニング社みたいに金目当てに生きてるわけじゃない」

「あなたもお人好しのペットみたいね。あの人たちのことを善人と思い込んで、忠犬みたいに尽くしてる。だけど多少は『疑う』ってことも学んだ方がいいわよ。大体、あの父娘を目の前にして『本物の親子』と信じる方がどうかしてる……」

彼は勢いよく立ち上がり、スチール製のガーデンチェアを引き摺る音が辺りに響き渡った。

周りの訝るような視線に気付いて、彼も渋々、腰を下ろしたが、

「ともかく、一笑されるかかどうかは話してみなければ分からないし、一笑されたところで君が恥をかくわけでもない、開発公社の担当者と話ぐらいさせてくれてもいいだろう」

「無理ね。部外者とは話さないわ」

「俺は部外者じゃない」

「部外者よ。社員でもなければ、市民でもない。紙切れ一枚で雇われたアル・マクダエルの飼い犬でしょ」

「飼い犬にも物を言う権利はある」

「あなたって、本当に世間知らずね。陰で笑い物にするだけならともかく、本気で潰しにかかる人間だっているのよ。人ひとりが破滅する様を見て、心を痛めるどころか、よくぞ消えてくれたと手を叩いて喜ぶ本物の悪党。あなたの立派な正義感も、あの人たちにとってはただの雑音に過ぎない。あなたが顔を真っ赤にして叫べば叫ぶほど、馬鹿な奴だと嘲笑うだけよ」

「だが、それもマスになれば、黙殺できなくなる」

「どういう意味」

「俺の故郷の話だ。住民の合意もなしに臨海都市の建設が行われることになった。基礎工事が始まって、ボランティアが何年もかけて植樹した所を数台の重機が掘り返そうとした時、それまで静観していた人までプラカードを手に駆けつけた。さすがにオペレーターも作業を続けられなくなり、工事も中断した。それを国内の有名ジャーナリストが取り上げたことで再び世論が動き、ついに臨海都市計画そのものが覆った。そんな風に、大勢が団結すれば強い流れも変えられる。いくらファルコン・マイニング社が大企業でも、鉱区の労働者が一斉にストライキを起こせば、ファーラー社長だって大上段に構えておれないだろう」

「あなた、左巻きなの?」

「そうじゃない。誰もが心の奥底では識ってるんだ。何が大切で、自分たちがどう振る舞うべきかを。世の中は醒めた人間ばかりじゃない。ただ声に出して主張しないだけで、心の奥底では、正しいこと、美しいことを求めている。そうでなければ、映画や偉人伝やサッカーのファインプレーに心を動かされたりしない。そして、いつか、そうした大衆の義心が世の中を動かすようになる。今、誰も異議を唱えないからといって、十年後、二十年後も、誰も抗わないと思ったら大間違いだ。どんな栄華にも必ず終わりは来る」

「だからって、あなたが広報したぐらいで開発計画はびくともしないわよ」

「俺は計画自体を非難するつもりはない。まだ始まってもいないし、新たな財源にしたい地元の期待もある。ただ海洋調査の実際を伝えて、とりわけ、ここで生まれ育った世代に海の科学や可能性を知ってもらいたいだけだ」

するとオリアナはそっくり返って笑い、

「あなたって、どこまでお目出度いの。そんなことを訴えて、世間がしみじみと耳を傾けてくれるとでも思ってるの? 一時期、いい暇つぶしになっても、五年も経てば、誰の記憶にも残っちゃないわ。それでもやるの? 周りに嘲笑されても?」

「誰の記憶にも残らないとしたら、それは俺の話に魅力がないからだろう。それでも一つ前例を作れば、次への足がかりになる。いつかまた、誰かが似たようなことを試みる」

「そうかしら」

「なるさ。海にはそれだけの魅力がある」

「だとしても、それが何の役に立つの」

「俺の父親はサッカークラブの子供にとても慕われていた。試合やキャンプに顔を出すと、自然と父の周りに子供が集まった。サッカーのこと、堤防のこと、学校のこと、どんな質問にも丁寧に答えてくれた。父は十七年前に亡くなったが、父のことを忘れた人は一人もない。今でも『あの時、あんなことを言ってたね』と昨日のことのように思い出すことができる。それだけ人間的な魅力にあふれていたからだ。その後、俺の友人は父と同じ土木工学に進み、故郷の復興に尽くしている。ディフェンディングを教えてもらってた子は、父にイラストを褒められたのがきっかけで建築のCGデザイナーになった。他にも、植樹に取り組んでいる子、地元の少年にサッカーを教えている子、教師になった子、みな、父と話した思い出を大切に持っている。――つまり、そういうことだ。百万人を相手に何かを語りかけても、本当に意味を理解するのは一握りかもしれない。だが、その一握りの中から志の高いリーダーや高度な技術をもったエキスパートが育ち、社会に貢献するようになれば、一人は十人になり、十人は百人になり、善意は波のように広がる。貴い教えは鉱石よりも長く続く」

「あなたの周りは善人ばかりね。でも、あなたの身内には通用しても、世の大多数には通用しないわよ。あなたが何を訴えようと、多くの人にはただの雑音、明日には忘れ去られる退屈なお説教に過ぎない。それでもやるの? 乞食の辻説法みたいに?」

「俺だって、皆が皆、分かってくれるとは思わない。考えが全く違う人もあれば、まるで聞く耳を持たない人もあるだろう。だが、一人の心が動けば何かが変わる。世界は心が作り出すものだからだ」

すると、オリアナは今度こそ本気で声を立てて笑い、

「あなたって、人間の善性を信じきってるのね。どうりでエリザベスと気が合うわけだわ。無知で、お人好しで、星に祈れば願いが叶うと信じてる。世の中のことなどろくに見もせず、二人で夢みたいなことばかり語り合ってるんじゃないの」

「君はどうしてそこまで彼女を目の敵にするんだ? 親は違えど、一番近い親族だろう?」

「親族だから何だというの。是が非でも尊敬しろと言いたいの? 大体、私たちを冷遇したのは、あっちの方よ。どうして、こちらから頭を下げてお付き合い願わなければならないの」

「君の家族は?」

「母は二年前になくなったわ。『母』といっても、父とは内縁の関係だけど」

「お父さんも経営を?」

「父は個人投資家なの。祖父が遺した貯蓄を元手に株や不動産を運用して、かなりの財産を築いたわ」

「MIGとの関わりは?」

「ないわ。経営陣に加えてもらえなかったの。父は採鉱プラットフォームにもかなりの資金提供を申し出たけど、あの姉弟にけんもほろろに突き返されたと言ってたわ。親族の情の欠片もないわよ。私に対してもね」

オリアナの顔に本物の憎悪が浮かぶと、彼も居住まいを正し、改めて彼女に言った。

「俺はマクダエル一家のことはよく知らないし、君のお父さんやお祖父さんの代にどんな確執があったのか想像もつかない。だが、君まで一緒になって復讐に走ることはないだろう。たとえ恨み辛みを完全に払拭できないにせよ、君は若くて綺麗だし、マイニング・リサーチ社で鉱物資源データの分析が出来るほどの能力もある。仮に仕返しが叶って、彼女や理事長が破滅する姿を目の当たりにできたとて、それがどんな幸福をもたらすというんだ。それとも君にとって人生とはその程度のものか? 彼女が惨めになることが生きる目的? 世界中を旅したり、仕事で高く評価されたり、そんな事には何の意味もないと? 敵討ちに人生を費やすなど、それこそ無益だ。君だって心の底では温かな団居を求めてるはずだ」

「そんな風に言えるのは、あなたがマクダエル一家とは何の関わりもないところで生きているからよ。一歩中に入れば、あの人たちは見てくれだけの羊頭狗肉、だから私の祖父や父をMIGから放り出しても、のうのうとしていられるのよ」

「それは真実か?」

「父は嘘は言わないわ」

「だが、君だって、理事長やダナ会長ときちんと向き合ったことはないだろう。差しでじっくり話したこともないのに、なぜ君のお父さんの言い分が絶対的に正しくて、理事長やダナ会長が悪だと言い切れるんだ。父親の言い分を盲信して、自分で何一つ確かめようとしないなら、君の方こそ愚かだぞ」

「……」

さすがにオリアナが言葉に詰まると、彼も態度を和らげ、

「一緒にウェストフィリアに行くとなれば、君もパートナーだ。あれが気に入らない、これが好かないでは仕事にならない。君も知っての通り、深海調査はチームワークだ。整備、運航、ナビゲーション、パイロット、どれ一つ誤っても命取りになる。君にどんな恨みがあるにせよ、真摯に調査に取り組む人の安全まで脅かして欲しくない。一緒にいい仕事をしよう。それでもまだ腹に収まらぬことがあるなら、俺が後でまとめて聞いてやる」

一瞬、オリアナの黒い瞳が揺らいだが、

「言っとくけど、調査の依頼主はあくまで開発公社よ。ひとたび船に乗ったら、すべてこちら指示に従ってもらうわよ」

「弁えてるよ。こう見えても、いろんな国の、いろんな研究機関に協力してきた。プロテウスで逆立ちしろと言われたら、言われた通りにする、それが海洋科学の発展に繋がるならね」

「だったら、あなたの信念とやらをとくと見せてもらうわ。言葉通りの人か、上辺だけか」

「それこそ、俺は嘘は言わないよ。一度、操縦桿を握れば、全ての命を預かる。そこに善人と悪人の区別はない」

「……」

「その上で改めてお願いするんだが、どうか広報に協力してもらえないだろうか。できれば、プロテウスの中から調査を実況したい。海の底がどんなものか、なぜ情報共有や全球的な観測システムが必要なのか、大勢に知ってもらいたいから」

オリアナはしばらく黙っていたが、

「わかったわ。開発公社の誰かに話してみるわ。もっとも、まともに取り合ってもらえるとは到底思えないけど。それにつけても、あなたも超が付くほどのお人好しね。こんな簡単にOKしてくれるとは夢にも思わなかったわ」

テーブルの上の伝票を掴むと、足早にその場を立ち去った。

*

ヴァルターは一旦、ステラネットのワーキングルームに戻ると、事の経緯をかいつまんでゾーイに話した。

ゾーイは「ほー」という顔で彼の話を聞いていたが、全て聞き終わると、「私、そっちのお姉ちゃんと気が合いそうだわ」と肩をすぼめた。

「あなたには申し訳ないけど、確かに彼女の言う事も一理あるもの。ステラネットのプロジェクトならともかく、縁もゆかりもない開発公社の深海調査でしょう。それを何の関わりもない雇われパイロットのあなたが実況するなんて、非常識もいいとこ。彼女が馬鹿にするのも無理ないわよ。でもね。あなたがそうまで望むなら、やってみる価値はあると思うの。だって、何もやらないよりは、何かやって失敗する方が上等でしょう。同じ後悔するなら、世間にさんざん馬鹿にされ、己の未熟さが骨身にしみた方が諦めもつくわ。ああ、あの時、もっと全力を出していればと後悔するのは私も嫌い。『アプリパーク』への出品もそうよ。一つ星レビューを恐れていては何も出来ないわ」

「分かってくれて嬉しいよ」

「で、私は何をすればいい?」

「君のネットの仲間に呼びかけてくれないか? ウェストフィリア深海調査で実況をやろうと思うんだが、興味があるかどうか。話題にするだけでいい。少しでも誰かが興味をもってくれたら、俺も励みになる」

「了解」

ゾーイは回転椅子ごと、くるりとデスクに向かうと、早速、オンラインのソーシャル・グループにアクセスし、メッセージを打ち始めた。

苦手に感じたこともあったが、接し方一つで相手の態度も変わるものだと思った。

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この記事を書いた人

石田朋子

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。科学番組の全盛期に子供時代を過ごした影響でSFを書いています。モットーは『Newtonから月刊ムー』まで。文芸とサイエンスを融合した新しいスタイルの作品を手掛けています。

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