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闘う建築家と公共の芸術 ~大衆の願いは無意味なのか

海と恋の物語
目次

【建築コラム】 建築は公共の芸術

安藤忠雄の連戦連敗』でも書いているように、建築は公共性の強い芸術であり、絵や音楽と違って、自分の好きなように作ればいい……というものではありません。一つ一つに巨額の建設費や維持費がかかりますし、一度作ってしまったものは、そう簡単に修正したり、取り壊せないからです。

本作では、デフォルメされたキャラクターとしてフランシス・メイヤーという建築家が登場します。現実には、ここまで極端な人はないと思いますが、そこはドラマ仕立てということで。

後にエヴァが言う、「どこに作り手の心があるかは、デザインを見れば分かる」という言葉が全てを表しています。

【小説の抜粋】 巨大な海上都市パラディオン建設の是非をめぐって

優遇される新興勢力と、取り残される既存社会の対立が激化する中、世界的な建築家フランシス・メイヤーの海上都市『パラディオン』の建設が推し進められる。
共存共栄を願うリズは、あまりにも一方的なメイヤーと、彼を推す新興勢力のやり方に異議を唱えるが、メイヤーはまるで聞く耳を持たず、リズとヴァルターの正義感を嘲笑う。

このパートは『第六章・断崖』の抜粋です。作品詳細はこちら

メイヤーが案内したのは、商業ビルの地下一階にあるペルシャ風カフェだ。色とりどりの伝統織物や陶器が店内を飾り、砂漠のキャラバンのような趣がある。

だが、客席の八割が『個室』と聞いて、リズは少し身構えた。

個室といってもドアで完全に閉めきるのではなく、釜戸のような狭い間口を厚手のモレスクカーテンで覆う仕掛けだ。他者の声も聞こえるし、通路を行き交う人の足も見える。だが、布張りの二人掛けソファにメイヤーと並んで腰をかけると、なんともいえない圧迫感がある。よほど店員に「カーテンは開けておいて」とお願いしたかったが、店員はカップルと勘違いしたらしく、注文を聞き終えると、怪しげなペイズリー模様のモレスクカーテンをぴっちり閉めた。

メイヤーが注文したのは濃厚なトルココーヒーのセットだ。彫金蓋付きの銅器の中に白い陶器のカップが入っていて、中世貴族の食卓みたいに重量感がある。コーヒーは「ジェズベ」と呼ばれる柄杓のような銅器で煮出す為、味も香りもドリップコーヒーとは格段に違う。また、お揃いの銅器の皿にはトルコの有名な菓子「ロクム」が添えられ、砂糖餅のような軟らかさだ。

リズは濃厚なコーヒーと、とろけるように甘いロクムを口にしながら、しばしメイヤーの食談義に耳を傾けた。

メイヤーは先の意見交換会も録画で見たらしく、

「あなたが既存社会に肩入れされるのは分かりますよ。むしろ肩入れしない方がどうかしている。古くからあの島で活躍している人々にとって、あなたは巫女のような存在だ。あなたの顔を見るだけで、人々は古き佳き時代を思い出す」

「古き佳き時代などではありません。今も人々が切実に求める理想です」

「One Heart, One Ocean ですか?」

メイヤーがいきなり本丸に斬り込むと、リズも息を呑んだ。

「あなたがスカイタワーのイベントで、『エメラルドグリーンのシフォンドレス』に『斑入りチューリップ』を持って現れた時に気付くべきでした。斑入りチューリップの花言葉は『疑惑の愛』、エメラルドグリーンは『緑の堤防』だ。仇討ちのつもりですか」

リズがぎゅっと唇を噛むと、メイヤーは軽くいなし、

「お気持ちは分かりますよ。あなたの友人にとって、わたしは不倶戴天の敵みたいなものだ。彼から話を聞けば、わたしは卑劣きわまりない野心家に見えるでしょう。しかし、彼にも落ち度はあります。それは無知という、この世で最も恥ずべき欠点です」

「恥ですって?」

「どこの世界にも暗黙の了解があるものです。少なくとも建築や土木は、まともに学問したことのない人間がああだ、こうだと口を挟む世界ではない。無知なら無知なりに、おとなしく見ておればいいのです。それを正義の犬みたいに吠え立てるから痛い目に遭うんです。もっとも、彼の場合は意匠盗用という悪事がばれたわけですが」

「証拠があるのですか」

「彼自身が証拠です。自ら示談書にサインした」

「強要されたと聞いています」

「どのように脅されようと、身に覚えがないなら断固として争えばいいことです。覚えがあるからサインするんですよ。まったく、卑小きわまりない」

「それでも大勢が『緑の堤防』を支持した事実については、どのようにお考えですの?」

「大衆とはそういうものです。彼らに知性を期待する方がどうかしている。大勢が支持したからといって天才の証しにはなりません。デザインとは、もっと奥深いものですよ。亡き父親の思い出で飾れるほど単純ではありません」

「あなたにとって、大衆の願いや気持ちはまるで無意味なのですか」

「芸術と同列で語るものではありません」

「ですが、建築は絵描きのキャンパスと違い、公共と深く結びついた芸術です」

「そうかもしれません。それでも素人にデザインはできないし、理解もできない。まともに耳を傾けていては、創造的なものなど生まれようがない」

「だからといって、町はあなた一人のキャンパスではありません。大勢の希望や理念を取り入れ、創造と公共性の調和を図るのがプロの仕事ではないですか?」

「簡単に仰るが、大衆に高邁な理想などあろうはずがありません。彼らの望みは安っぽい娯楽であり、労せずして得る安楽です。大衆の好みに合わせていたら、そこら中、キャバレーみたいな町並みになりますよ。時には作り手の創造性を前面に押し出し、社会に挑戦を仕掛けるから、何百年と語り継がれるユニークな建物が建つのです。フェールダムも私のプラン通りにしていたら、今頃、世界に類を見ない水のリゾートになっていたでしょう。投資も呼べたし、観光客も世界各国から訪れた。その経済効果は計り知れません。ところが、その価値をまるで解さず、元の田舎町に戻せと叫き続けたのが、あの男とデ・フルネだ。無知な田舎者が繁栄の機会を台無しにしたのです。だが、突き詰めれば、あんなちゃちなアイデアを支持した大衆にも落ち度はある。田舎者同士、数百年先も畑を耕しておればいい。他市の繁栄を横目で見ながらね」

「ですが、その畑で採れたものを、あなたも口にしていらっしゃるのでしょう。なぜ田舎が、畑が、と見下すのです? 投資を呼べないのも愚かな方策かもしれませんが、大地をコンクリートで固めるのも同罪ですわ。もし世界中から田畑が失われたら、あなただって飢えることになるんですよ」

「やれやれ。あなたまで田舎思想に感化されたのですか。トリヴィアの工業界を代表するような家柄に育った子女なら、センスも見識も一流かと思っていました」

「私の方も、建築界の世界的権威なら、社会に対する配慮や責任感も人一倍かと思っておりました」

メイヤーはむっとしたように唇を突き出したが、

「お嬢さんの理想も分からないではないです。しかし、建築に限らず、世の中は複雑だ。こう建てたいと願っても、予算や、構造や、建築法規や、諸々の制約に阻まれ、完璧に自分の思う通りに出来上がることなど、まずない。それでも己の芸術を極めんと日夜研鑽しています。なぜなら、わたしもまたデザインを心から愛しているからです。ペネロペ湾のデザインを引き受けたのも、決して功名心ではありません。この海はユニークだ。しかも生まれたての赤ん坊のように脆くて幼い。それを一から描き直す。計り知れない手応えがありますよ」

「民意が反映されなくても、ですか?」

「民意の方が間違いの場合もありますよ、ミス・マクダエル。皆が皆、社会の必要性を正しく理解しているわけではないでしょう。フェールダムと同じように、その場の感傷だけで道を選ぶこともある。そして、何十年もの繁栄をふいにするのです。あなたのように大衆に同情するだけでは進歩も改革も到底望めません」

「ですが、アステリアに関しては、これまで好ましい環境の中で発展してきました。皆が従来の方策を求めるのは当然です」

「それはゼロから立ち上げて、右肩上がり只中に居たからでしょう。実際にはゼロが五〇になったに過ぎないのに、一〇〇以上のものを達成したと勘違いしている者もいる。勢いのあった頃だけを見て、『昔の方策が正しかった』と思い込んでいるのです。あなたもご存じのように、アステリアは地理的にもいずれ頭打ちになります。打破する道は一つしか無い。それは海洋空間の利用です。マリーナや埠頭とは規模の違う、都市空間の創出ですよ。わたしだって私利私欲の為だけにデザインを手掛けている訳ではありません。もしパラディオンが建設されれば、いずれあなたも感謝することになるでしょう」

「どうして、そう言い切れるのです?」

「莫大な資本が流れ込みます」

「既にそのような確約があるのですか?」

「わたしは無謀な賭けはしないタイプだ。見込みがあるか、否か、慎重に調べた上で判断します。下調べの段階で手応えを確信しただけで、確約とはまた別ですよ」

「仮に手応えがあったとしても、それは限られた富裕層の中での話でしょう。一般の人々はどうなります? 住む場所がなくて、危険な水上ハウスに住んでいる人たちや、公団に入居したくても空きが無く、高い家賃を払ってしのいでいる人たちは? いずれウェストフィリアの開発が本格化すれば、数千規模で労働者が入ってくるでしょう。その人たちは何所に住むのです? もし、あなたがパラディオンこそアステリアの真の救済策だと確信なさるなら、万人が納得するような答えを提示できるはずです」

「あなたは順序を勘違いなさってる。今アステリアに必要なのは新たな財源であり、有力な住人です。彼らは、市民一万人が十年かかってようやく稼ぐものを一夜で作り出すことができる。そして、彼らはエルバラードに代わる安全で快適な生活空間を欲しており、それを得るためなら十億でも百億でも投資を惜しみません。彼らが資産の多くをアステリアに移せば、それは回り回って、メアリポートの改修費になり、集合住宅の建設費となり、中小企業の支援金になります。庶民が蟻のように努力するより、よほど効率的だと思いませんか?」

「かつてトリヴィアも似たような理由で移住政策を拡大したことがありました。目先の利益だけで安価な労働力を掻き集め、その結果、社会の二極化と憎悪をもたらしたのです」

「トリヴィアが失敗したのは、技術も教養もない貧乏人が大量に流入したからでしょう。パラディオンとは根本的に異なりますよ。移住の目的も、人間の質も」

「それでも富が広く還元されるとは思いません。本当に人やお金が公平に流れるなら、トリヴィアも隅々まで潤い、とうの昔に社会全体が豊かになっているはずです。でも、現実には、一握の富裕層だけが空気までも買い占め、そうでない人たちは永久に這い上がれない社会の溝で、何代にも渡って苦しみ続けています。父が大勢の協賛を得て、アステリアの人々に希望を与えてきたのは、ここには還元があり、チャンスがあり、転んでも次の手がある安心感があったからです。それを壊せば、大衆は力を失い、パラディオンも失速させるでしょう。海は一つ、悪い波は必ず全体に及ぶからです」

「それも人間の質によりますよ。ファルコン・マイニング社を筆頭とする旧閥には何かと暗い噂が多いが、ドミニク・ファーラーとて永遠の命を生きるわけではありません。トリヴィアも着々と代替わり進み、新しい価値観を持ったニューリーダーが新興派閥と手を組んで変革に乗り出している。わたしが顧客と定めるのは、そういう新しい人々です。同じ過ちが繰り返されるとは思いません」

「では、仮に新しい人々がトリヴィアに自由と公正をもたらしたとして、今アステリアで起きている用地不足や港湾施設の老朽化、技術者不足や零細企業の救済といった問題にはどう対処なさるおつもりですの。パラディオンが完成する数年先まで待つのですか」

「あなたの考えも極端だ。何も社会のリソースを丸ごとパラディオンに傾注しようというわけではないのですよ」

「でも、数兆エルクもの建設費がそちらに流れるのは確かですね」

「それはトリヴィアの財務省が調整することです。わたしが公費の振り分けまで指図するわけではありません」

「巧みに言い抜けなさるのね」

「では、あなたなら、どうなさいます? こうまでわたしのプランを批判されるからには、確たる構想をお持ちなのでしょうね」

「アステリアは一丸となるべきです」

「パラディオンも一つの円ですよ。建設されれば、何千、何万の住民が一つに結ばれる。工事に従事する間、人々は収入を得て、福利も保証される。富裕層が移住すれば、清掃、給仕、子守の需要も増える。失業の不安からも解放され、いいことずくめではないですか」

リズがぐっと声を詰まらせると、メイヤーは口の端を歪め、

「そういえば、面白いウェブサイトを目にしましたよ。『オーシャン・ポータル』といって、海の科学館みたいな情報サイトです。テキストのみならず、フォトギャラリーやビデオのコンテンツも充実して、素人サイトにしてはなかなかクオリティが高い。おまけに海洋土木と干拓の情報まであった。さすがに『緑の堤防』には言及してなかったが、こんな所でまだやっていたとは噴飯ものだ。あなたも相当に感化されているのでしょうね。わたしに疑惑のチューリップを贈るぐらいだ」

「素人が声を上げてはいけませんか」

「声を上げるなとは言ってません。あれほど痛い目に遭って、まだ学習できずにいるのが滑稽なだけです。身の程知らずもここまでくれば道化ですよ。本人はいたって真剣なのでしょうがね」

「大勢が支持してもですか?」

「あの田舎者にアステリアの大衆を説得する力があるとは思いません。ここはフェールダムとは違う。身内の共感は得られても、社会の支持を得るのは難しいでしょう。彼は理想だけで、具体策がない。自由、公正と叫ぶなら、小学生にもできます。まだあなたのお父上の方が実際的だ。あの地に多額の投資をして、あまたの事業を成功に導いた」

「でも、いずれ具体策を示すかもしれませんよ」

「どうやって? わたしに対抗して、ペネロペ湾の開発案をデザインするとでも言うのですか? それこそ愚の骨頂ですよ。『緑の堤防』もロイヤルボーデン社の広告用パースがあればこそだ。彼にそんな才があるとは到底思えない」

「アイデアは何所からでも訪れます。無学でも、無資格でも関係ありません。父も海洋学は全くの素人でした。でも、世界で初めて実用的な海台クラストの採鉱プラットフォームを完成させましたわ」

「地位も資本もあればこそですよ」

「無くても、それに代わるものがあります。愛と信頼です」

すると、メイヤーは声を立てて笑い、

「愛と信頼で人が動かせるなら、これほど容易いことはありませんよ。建築でも、下請けの工夫に綺麗に塗装させるのに、何度も同じ事を言って聞かせねばならないほどです。百の理想を説いて聞かせるより、小切手一枚切った方が早いんですよ。それが子供時代、わたしが学んだ処世訓です、ホテル『メイヤー&パーマー』の日常を通してね。何にでも反対の田舎者にはこの世の道理など永久に理解できません。いまだに風と風車がパンをこしらえてくれると思ってる。十七世紀ならそれが国力だったかもしれませんが、今、あの低地に残ってるのは、老朽化した堤防といつ浸水するか分からない恐怖だけだ。なのに低地の田舎者はその現実を直視しようとせず、また似たような干拓地を再建し、それが正義と酔いしれている。彼の父親も命懸けで堤防を守ったという話だが、わたしに言わせれば、堤防の脆弱性が分かった時点で、家族を連れて安全な高台に引っ越せば良かったんですよ。決壊寸前の堤防を守りに戻るなど、美談でも何でもありません。その判断ミスは棚に上げ、堤防修復に応じなかった自治体を非難し、わたしの作品は素人の付け焼き刃で批判する。彼は単なるルサンチマンの塊だ。芸術家でもなければ、政治家でもない」

「あなたはどうなのです?」

「わたしは創造者ですよ。誰よりも現実を知っているプロデューサーです。わたしが手がけたプロジェクトは、いずれも現地に繁栄をもたらした。閑古鳥が鳴いていたリゾートは息を吹き返し、倒産寸前のホテルチェーンは劇的に売り上げを回復しました。奇抜さだけではないのですよ、ミス・マクダエル。私は建築物ではなく、社会そのものをデザインする。経済、政治、インフラ、娯楽、全ての要素を織り込んで、画期的なプランを作り上げます。どうぞ、その手腕を信じて下さい。彼の提唱する One Heart, One Ocean より、遙かに優れた海洋都市をデザインしてみせますよ」

「あなたに味方しろと仰るのですか」

「反対派は都市設計の何たるかも考えず、『総工費二十兆エルク』という金額に過剰反応しているに過ぎません。二十兆ではなく五千億の工事なら、ここまで文句は言わないはずです。第一、二十兆はあくまで試算であって、公式の数値ではない。実際にはそれ以下で収まるはずです。あなたもやみくもに既存社会を庇い、新しい価値観を敵視するのはお止めなさい。新しい目で見渡せば、いかにわたしが真っ当か、お分かり頂けるはずですよ」

「あなたが真っ当なら、黙っていても多数の支持が得られるはずです。既存社会が立腹しているのはパラディオンそのものではありません。そこに込められた思想や手法に理不尽を感じているのです」

「そうですか。これだけ言っても、まだお分かり頂けませんか。聡明なお嬢さんのことだから、自身の地雷も視野に入れた上で、慎重に振る舞っておられるものと思っていました」

「地雷ですって?」

「わたしの知り合いが非常に興味深いことを教えてくれました。あの男もいつの間にやら一児の父親だそうですね」

リズの顔が引き攣った。

「どこの女に産ませた子供か知らないが、ろくに仕事もせず、みなしごの子守とは笑わせる」

「誰の子であれ、罪もない子供の名誉を汚すことは許しません」

「あなたが望む、望まぬにかかわらず、世間というのはそういうものです。偶像を引き摺り落として泥まみれにするほど面白い見世物はない。あなたの友人だって、わたしに同じ事をしたではないですか。公衆の面前でわたしの作品をけなし、利欲の権化のように批判した。わたしの作品にも哲学はあります。田舎の価値観と相容れないだけで、わたしにもわたしなりの公共心があり、芸術への献身があります。それを貶められた屈辱をわたしも決して忘れはしない。だが、その屈辱も、あなたに協力して頂けるなら水に流してもいいと思っています。あなたは既存社会で影響力がある。あなたの口からパラディオンのメリットを説いて頂ければ、これほど有り難いことはない」

「脅迫なさるの」

「脅迫など、とんでもない。わたしはただ、お互いに解り合えないものかと道を探っているだけです。あなたの好きな共存共栄の精神ですよ。あなたも、もう少し利口になった方がいい。しかし、困った事があれば、いつでご相談に乗りますよ」

メイヤーはトルココーヒーを飲み干すと、黙って席を立った。

【リファレンス】 闘う建築家と公共の芸術

私が初めて建築に興味をもったのは、ガウディの奇跡―評伝・建築家の愛と苦悩 (北川圭子・著)がきっかけです。

それまで、サントリーのCM『アントニオ・ガウディ編』を通して、少なからず興味はありましたが、建築系の本をがっつり読むのはこれが初めてで、どのエピソードも非常に魅力的でした。北川氏の本は、どちらかというと「物語風」で、まるで「小公女」か「幸福な王子」みたいな雰囲気でしたから、余計で心を揺さぶられたのかもしれません。最後はガウディが可哀想で、可哀想で、号泣しました。すぐにもバルセロナのサグラダ・ファミリアに飛んで行きたくなるほどのインパクトです。

それから、少しずつ、建築関係の本に手を伸ばすようになり、最初は芸術としての作品集、次いで、自伝や建築論、産業あるいは政策としての建築・土木、社会派コラムと、幅も広がり、数年後には、黒川紀章氏や安藤忠雄氏の作品を見に出掛けるほどのマニアになりました。それでも一番面白いのは、談合疑惑や不正コンペみたいなブラックネタですが。

建築の非常に面白い点は、何と言っても、「個人の作品」では済まされないほどの規模とコストでしょう。

ショッピングモールや国際競技場といった巨大建築は言うに及ばず、一般住宅といえども、100円、200円で成り立つものではありません。

途中で誤りに気付いても、漫画みたいに消しゴムでごしごし消せるわけでもなければ、失敗作で人が死ぬわけでもない。

一センチの誤差が、甚大な被害を及ぼすこともあれば、狙い通りに活用されず、何億、何十億という公金の無駄遣いに終わることもあります。

漫画なら、「皆様に不快な思いをさせて、すみません<(_ _)>」で済みますが、建築は、決して間違いがあってはならない世界です。

施工はもちろんのこと、屋根や柱の形一つとっても、そこに何年、何十年と住み続ける人のことを考えなければなりません。

都市の景観や地域の経済活性も重要な課題です。

ストリートミュージシャンが街路で何をわめこうが、無視して通り過ぎればいいだけの話ですが、もし、目の前に、ピンク色のマンションや、ちんどん屋のような汚ビルが建ったら、たとえ自分はお洒落なデザイナーズハウスに住んでいても、毎日、それが視界に入るだけで、気が狂いそうになりますね。

そんな風に、「オレが、オレが」では済まないのが建築の世界。

「自分はこうしたい」と願っても、そうはならないし、出来ないのが当たり前。

そして、誰にでも均等にチャンスが訪れるわけではなく、コンペに勝ち抜いて、実作に漕ぎ着けるのも至難の業です。

世界的に名の知れた建築家でさえ、渾身のデザインが落選し、何度も涙を呑むほどです。

それでもデザインし続ける意味は何なのか。

何がどうなれば成功といえるのか。

漫画家や音楽家のいう「自己実現」とは程遠い所に位置するのが建築家で、よほど精神的にタフでなければ、務まらないと思います。

全方位と闘う覚悟や、各方面に働きかける政治力(交渉力)も必要でしょうしね。

それだけに、これほど面白い分野もなく、建築関係の本があれば、ついつい読み耽ってしまいます。

何と言っても面白いのは、建築本独特の言い回し。

たとえば、飯島洋一氏の『「らしい」建築批判』に紹介されている、次のような一文。(引用は、飯島氏自身の文章ではなく、書籍内の引用です)

初期合理主義建築は、特に、鉄筋コンクリートという新しい建築材料が、単純な立体幾何学的形態に適し、加えて、相互貫入するヴォリューム、独立してたつ薄い壁板、鋭い直線的突出などによる「構図」の解体を可能にしたところから誕生した。

相互勧誘するヴォリューム」ですよ。

ジャンクスペースは一つに結束させるように見せかけておいて、その実、粉々に叩き壊す。ここにつくられるコミュニティは共通の利害や自由なつながりによってではなく、同一の統計なデータ、公分母のモザイクで成り立っている。自己はプライヴァシーと秘密とを剥ぎ取られる。 <中略> ジャンクスペースで楽しみたければ、革命後のようにぼんやりすることをお勧めする。そこにはフィギュレーションへの忠誠心など微塵もない。「初期」条件もない。建築は、静止画面のシークエンスに代わった。唯一、確かなことは(恒常的な)転換があるくらいだが、ただしその後「復元」される見込みは薄い。

分かったような、分からんような、でも、何となく、分かるような……。

建築仲間にだけ通じる独特の修辞が、これでもか、これでもかと書き連ねられ、何だか凄いものを見せられたような気分になる。それが建築文体の魔術です。

身近な例を挙げれば、マンションポエムなどは、その典型です。

1000作品以上集めてわかった「マンションポエム」に隠された“ワナ”でも紹介されている、「洗練の高台に、上質がそびえる」(野村不動産「プラウドタワー白金台」)「DIVA 女神は、輝きの頂点に舞い降りる。まるで、この街そのものが、壮大な音楽のようだ。そんな高崎に、今また新しい住まいがデビューする。第五章のプロローグ(タカラレーベン「レーベン高崎GRADIA」)みたいなあれです。

宣伝のコピーとは少し趣が異なるかもしれませんが、建築本も、実物をどんと目の前に提示することができないだけに、あの手この手で修辞を凝らし、何でもないハコモノを、あたかも稀代の芸術のように錯覚させるところが、マンションポエムと五十歩百歩という気がするのですよ。もちろん、真に優れた作品(建築)も存在します。

しかし、そうでもして主張しなければ、建築家の創意など、到底理解されません。

皆さんは、新しい駅ビルを訪れる時、そのファサードや通路に、いちいち建築家の息吹を感じ取るでしょうか。

せいぜい「綺麗やな」「切符売り場は何所や」「ロッテリアが入っとらんやんけ」、その程度ではないですか。

どのあたりが新しいとか、どの辺りに苦労したとか、いちいち気に留める人があるでしょうか。

そんな細かな所まで気配りするのは同業者だけ。

その他大勢には、誰が設計しようが、内装で苦労しようが、まったく関係ありません。

それより、「トイレが綺麗」「乗り場の移動が楽」といった事の方がはるかに重要なはずです。

が、それもまた、建築家の宿命で、公よりも個が際立つようでは、時にバランスを欠いてしまいます。

建築家が「オレの趣味だから」と、エレベーターを撤廃して、300段ぐらいある階段を設けたら、町の人にはとんでもなく迷惑ですよね。

自然に公的空間に溶け込むから、町のシンボルマークとして長年愛されるわけで、たとえデザインに強いこだわりがあっても、公と個の間で上手に調整ができる、そうした思いやり、ないし社会的責任のある人が、建築家として名を成していくのではないでしょうか(そうじゃない人もあるようですけど)。

本作では、世界的建築家としてフランシス・メイヤーが登場します。

これは『ニュルンベルクのマイスタージンガー』に登場する、ベックメッサーのパロディです。

相対する二つの正義と、神の意思から自由な英雄にも書いているように、本作はワーグナーのオペラの壮大なパロディなので、主人公ヴァルターのライバルとして登場してもらいました。

現実にこんな建築家はおりませんけど、そこは創作ということで、相当にデフォルメしています。

デフォルメとしても、個人の野心や虚栄心が時の権力と結びつけば、無茶な事でも通るのは世の常で、一度走り出したプロジェクトはそう簡単には変えられないところがあります。

では、何が抑止力になるかといえば、住民一人一人の知識とセンスに他ならず、どのように手綱を取るかは、世界共通の課題と言えましょう。

何にせよ、建築家が、物理と、予算と、行政と、施主と、日夜闘っているのは紛れもない事実で、それでも遂にはやってのける意思の強さは尊敬に値します。

そして、彼等が良心をもって闘う限り、家も倒れず、町も発展するのです。

参考になる記事

・ 建築家・安藤忠雄の【連戦連敗】より

・ ばかけんちく探偵団 談話室

こちらは夢見るようなガウディの作品。私の建築熱はここから始まったんですね。

その後、ル・コルビジェとか、フランク・ロイド・ライトとか、日本なら、安藤忠雄、丹下健三、黒川紀章、といった本を読んで、「ふむふむ」と思った次第。
建築には芸術と公共性と二つの側面があって、「これが理想」というのは一口で語れません。

しかし、デザインの心がどこにあるかは、見る人が見れば分かると思います。

apo
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この作品を書いた人

石田朋子のアバター 石田朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。1998年よりWEB運営。車とパソコンが大好きな水瓶座。普段はぼーっとしたお母さんです。東欧在住。

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