第二章 採鉱プラットフォーム ~ウミガメ (11)

不運な父の最期

深海で揚鉱管を繋ぐ接続ミッションを前に、ヴァルターは幼馴染みのヤンから父の最期を聞かされる。
ほんの数分差で高波に呑まれたことを知ったヴァルターは激しく動揺し、運命の酷い仕打ちに号泣する。

42

その夜遅く、彼の部屋のドアをノックする人があった。

誰かと思ってドアを細めに開けると、初めて見る女性職員が立っている。浅黒い肌に黒曜石のような瞳がきらめき、まるでヒンドゥー教の女神みたいだ。午後九時を過ぎてまだ仕事をしているのか、紺色のスーツを身に着け、小脇に分厚いドキュメントホルダーを抱えている。

「ヴァルター・フォーゲルさん?」

「そうだが」

「ステラマリスから電話が入ってるの。今すぐ五階の通信室に来て下さらない?」

マルセイユの母だろうか。

「それなら俺の通話アカウントに転送してくれないか。PCで受信するよ」

「直通なのよ。ともかく通信室に来て。料金がべらぼうに高いのよ」

ともかく彼女に付いて部屋を出ると、エレベーターで一緒に五階に上がった。

彼女の名はインディラ・キプリング、嘱託でプラットフォームの通信設備の統合管理に携わっている。今夜遅くまで従業しているのは、本採鉱に備えたITシステムの総点検の為らしい。

早足で通路を歩きながら、「直通って、どういう事?」と尋ねると、

「恒星間通話よ。インターネットとは異なる、通常の電話回線。ステラマリスの国際通話みたいなものと言えば分かるかしら。相手はあなたにメールも送れないし、オンライン通話もできないと言ってたわ。ステラマリスを出る時、手続きしなかったの?」

「手続き?」

「恒星間通信サービスの利用手続きよ。これが無ければ電子メールも送れないし、オンラインサービスも利用できない」

「どういうこと?」

「呆れた人ね。そんなことも調べずに出てきたの? ステラマリスとトリヴィア間で個人的に通信するには許可が要るの。各自に割り当てられた認証番号が無ければ、メールの送受信もオンラインサービスも機能が制限されるのよ」

「でも、ウェブサイトは閲覧できたよ」

「閲覧だけでしょう。ネットバンキングやオンラインショッピングなどは出来ないはずよ」

「そういえば、オンライン送金のトランザクションでトラブルが生じて、手続き中に有り金が全部消えたよ。それも認証番号のせい?」

「その通り。認証番号なしにオンライン送金なんて、ここでは窃盗と同じことよ」

「だが、何故そこまで手の込んだことを?」

「トリヴィアとステラマリス間に通信中継衛星が幾つあるかご存じ?」

「十個ぐらい?」

「百個以上よ。その一つ一つにハッキング防止や機械トラブルを監視する装置が取り付けられ、定期的にパトロールもしてる。維持費も莫大だし、セキュリティも半端ない。恒星間通信は宇宙植民地にとって命綱だから、管理が非常に厳しいのよ。特に個人の利用はね」

「でも、俺がステラマリスの友人に送ったメールは普通に送信されていたよ」

「そう見えるだけでしょう。決して手元まで届いてないはずよ。そして友人のメールもあなたのアドレスには届かない。個人が恒星間で連絡を取り合うには、それ専用のサービスに加入しないといけないの。あなた、トリヴィアに来てからプリペイドの通信サービスを使ってたんじゃない? 旅行者や短期滞在者が使う機能限定の定額コース」

「その通り」

「それじゃあ、トリヴィア内でウェブサイトの閲覧やオンラインサービスは使えても、圏外は無理ね。ともかく、ステラマリスの家族や友人と気軽に話したければ、『ステラネット』にどうぞ」

「ステラネット?」

「私の父の通信会社よ」

インディラは白い歯を見せて笑うと、静かに通信室のドアを閉めた。

通信室といっても、40インチの壁掛けモニターとコンソール、マイク付ヘッドセットがあるだけの簡素な作りで、部屋の大きさも二メートル四方ほどしかない。

モニター前の椅子に座り、ヘッドセットを装着すると、「ヴァルター?」と懐かしい声が聞こえてきた。

「ヤン?」

彼が信じられないように聞き返すと、

「そうだよ、お前、生きてたんだな!」

以前と変わらぬ口調でヤンが答えた。

「生きてるさ」

「お前、そんな所で何をしてるんだよ。皆で探し回ってたんだぞ!」

「探した?」

「そうとも。一月下旬にマルセイユのお母さんから『息子が居なくなった』と連絡を受けて、皆で手分けして探したんだ。お前が行きそうな場所に片っ端から電話やメールもした。でも、何の手がかりも得られなくて、警察にも何度足を運んだかわからない。おまけにデ・フルネのサーバーから『緑の堤防』や『水を治める技術のアーカイブ』のファイルも消えてるし、お前のメールアドレスや通話アカウントに何度メッセージを送っても『送信不可』で送り返されてくるし。一体、どうなってんだ」

「それなら、たった今、通信士から聞いたよ。個人が恒星間通信サービスを利用するには特別な手続きが必要らしい」

「『水を治める技術のアーカイブ』はどうしたんだ」

「トリヴィアの『TrustIn』に公開してた。でも、それも君の方からは見えなかったんだろうな。URLも違ってたし」

「当たり前だ。気付きもしない」

ならば、トップページから『Beste Jan(ヤンへ)』と宛てたメッセージも、『リング』の鳥瞰図も、ヤンや他の誰かの目に触れることはなかったのだ。無視されたような気持ちでいたが、それ以前の問題だった。

「だけど、本当にびっくりしたよ。よくそんな宇宙の果てに一人で行く気になったな。先月、お前のお母さんに聞いた時、オレも腰を抜かしそうになった。クリスティアンやイグナスも同様だ。そんなにショックを受けたとは思わなかった」

「……」

「盗作うんぬんも取り沙汰されたのは最初の数週間だけ、二ヶ月もすれば、口の端にも上らなくなった。今ではみな理解してる。あんなの、ロイヤルボーデン社の言いがかりだって」

「謝罪文はどうしたんだ? 君が書くと言っていた」

「書くかよ、そんなもん!」

ヤンは声を荒らげた。

「オレも一度は書こうとした。だが、よくよく考えたら馬鹿らしくなって、無視することにしたんだ。それに、ギーゼラの旦那が助力してくれた」

「法律事務所の跡取りの?」

「そうだ。お前から聞いた話をそっくり伝えたら、『有り得ない』って。それで知り合いの弁護士を通じてロイヤルボーデン社のウデル・ローゼンブルフに問い合わせたら、『本人不在なら、謝罪文は本人が戻ってからで構いません』なんて、いい加減な返事だ。思うに、ローゼンブルフと一部の画策じゃないか。本社の社長に尋ねても『知らない』と言うし。だから、オレも無視することにしたんだ。たとえ『緑の堤防』に何らかの問題があったとしても、なんでデ・フルネのオフィシャルサイトで謝罪しなければならないんだ? どう考えてもおかしいだろう。それで無視を決め込んでいたら、案の定、あちらからは何も言ってはこない。だから、そのままにしてるよ。いざとなれば、ギーゼラの旦那が力になってくれる」

「そう……」

「だから、お前も心配しなくていい。示談書にサインして、『緑の堤防』を取り下げたのは仕方ないが、告訴だの、賠償金だの、そんなものはデタラメだ。万一、向こうが告訴するような事があっても、こちらにも『示談の強要』という理由がある。それに、ロイヤルボーデン社の広告用パースと『緑の堤防』が似て非なるものだということは誰の目にも明らかだ。意匠の盗用と言い張ったところで立証のしようがないと、妹の旦那も言ってたよ」

「それでも俺が過ったことに変わりはない。盗作を認めて、君たちの信用に傷つけた」

「示談書のことは言うな。それより重大ニュースが二つある。一つは臨海都市計画に待ったが掛かったこと。もう一つは、お前のお父さんのヘルメットが出てきたことだ」

「父さんのヘルメット?」

「そうだ。ある人がずっと持っていた。今はお前のお母さんの手元にある」

「どういうこと?」

「コンペの後、フェールダムの再建は、メイヤーの臨海都市計画に向けて一気に話が進んだ。もう誰にも止められない雰囲気だった。だが、オレもお前に言われた事をずっと考えていた。『君は仲間が汗水流して土を耕し、植樹した場所をブルドーザーで掘り返されて、本当に平気なのか?』と。基礎工事は八月初めから始まった。最初に沿海部、次に湖岸、次々に大型重機が乗り入れて、土砂を運んだり、枯れた樹木を伐採したり。だが、それがデンボンメルの森まで及んだ時、オレもデ・フルネのメンバーも黙って見ておれなくなった。人を集めるだけ集めて総決起したんだ」

「総決起?」

「そうとも。あの森を壊されてまで復興ボランティアに打ち込む意味がどこにある? 堤防も田畑も、あるべき姿に戻ってこその再建だ。そもそも、オレ達にとって再建とはなんだ。以前と変わらぬ暮らしと風景を取り戻すことじゃないか。それさえ達成できず、デ・フルネの存続に拘るなんて本末転倒だと思ったんだ。オレたちは自治体の役員じゃない。フェールダムの住民だ。フェールダムのことは、フェールダムの住民が決める。現に一般投票で支持されたのは『緑の堤防』だろう。経済性だの、美観だの、もっともらしい理屈を並べて、フェールダムとは何の関係もない審査員が選んだ作品では断じてない。それに皆が納得し、反対運動に協力してくれた。八月二十日から二十七日にかけて植樹の前で横断幕を掲げ、重機を一歩も通さなかった。何度も作業員や現場監督と揉み合いになり、しまいには自治体の役員や警察も出動して激しくやり合ったが、それでも引かなかった。一週間、踏ん張ったよ。ちょうど夏休みで学生もたくさん協力してくれた。みな、デンボンメルの森にテントを張って泊まり込みだ。お前が居たら、もっと盛り上がっただろうにな」

「だが、それでは君やデ・フルネの立場がないだろう」

「そこに強力な助っ人が現れた。リロイ・ファン・デル・サールという有名なジャーナリストだ。リロイは大学時代から自治体のオンブズマン活動に従事していたが、数年前から自身のウェブログで社会問題を論評したり、討論番組に出演して、気鋭のジャーナリストとして名を上げている。その人が、デンボンメルの決起集会とフェールダム再建問題をウェブログで取り上げたら大反響で、署名や街頭活動にも弾みがついた。九月二十二日には初めて自治体で話し合いがもたれ、オレや地元企業のボランティア・コンソーシアムの代表も招かれた。何度も協議を重ねて、先日ようやく『年末まで工事を見合わせる』という方向で一つの決着がついたんだ」

メイヤーの臨海都市計画は?」

「それはまだ分からない。復興委員もメイヤー自身も諦めてはいない。これからさらに協議を重ねて是非を問うことになる」

そんな大事にまたしても現地(フェールダム)に居らず、今も何の力にもなれない悔しさを滲ませると、

「『緑の堤防』のおかげだよ」

ヤンがしみじみ言った。

「もし『緑の堤防』というビジョンが無かったら、オレ達も動けなかった。反対、反対と騒ぐだけで、虫けらみたいに踏み潰されていただろう。だが、オレ達には確固たるビジョンがある。地元民の望みはこれだと絵にして示したから、フェールダム以外の人もオレ達に共感してくれたんだ。お前のおかげだ。ありがとう。――もっと最初に、そう言ってやれば良かったな。オレもデ・フルネの事しか頭になかった。お前の胸の内まで思いやれなかった」

「もういいよ。済んだことだ。あの時、デ・フルネを優先した君の気持ちも分かる。俺も一言、君に相談すべきだった。それで、父さんのヘルメットは?」

「それもリロイ・ファン・デル・サールのウェブログがきっかけだ。リロイは『フェールダムで何があったのか』という連作で、治水研究会が締め切り堤防の補強工事を訴えていたこと、堤防を守るために最後まで現場に残った作業員がいたこと、突如としてメイヤーの臨海都市計画が持ち上がり、地元民の多くが反対したことを、分かりやすいストーリーに仕上げて全国に訴えてくれた。再建コンペについても取り上げ、『緑の堤防』は本当に盗作なのかと疑問も呈してくれた。土木専門誌『Zivilisation』に掲載されたロイヤルボーデン社の広告用パースと並べてな。オレのところにもTVのインタビューが来たよ。お前のことも、決して邪心はないと重ねて伝えておいた。それから一週間後のことだ。ある人からデ・フルネの事務所に連絡があったのは。お前のお父さんの最期を見たそうだ」

「何だって?」

「その人も最後まで堤防に残っていたんだ。別れ際に、お前のお父さんからヘルメットを預かったらしい」

「どういうこと? なぜ今頃になって言ってくる? 途中で父さんを見捨てたのか?」

「まあ、落ち着けよ。その人も決して悪気があって隠し持っていたわけじゃない。誰にも言えず、あの夜からずっと苦しんできた。申し出たのは贖罪だ。このままでは死ぬに死ねないと」

「そんな事は問題じゃない。俺と母さんはそれ以上に苦しんできた。今更、贖罪も償いもない」

「いいから落ち着けよ。あの晩、最後まで締め切り堤防に残ったのは三十名。夜通し作業が続いたが、午後十時、ついに避難命令が出た。

三十名はそれぞれ小型トラックやミニバンに分乗し、速やかに持ち場を離れたが、一台だけエンジンがかからなかった。

それで、その人の運転するミニバンが最初のグループを安全な場所に避難させた後、堤防に引き返し、最後の七人を拾う手はずだった。

その際、お前のお父さんが自分の白いヘルメットを手渡して、『どうか無事に戻って下さい』と言ったそうだ。その人はヘルメットも何も着けてなかったらしい。

ともかく、その人はお前のお父さんのヘルメットを被り、最初のグループを堤防西側の安全な場所まで避難させた。

それから全速で堤防に引き返し、最後の七人を救出しようとしたが、その時には越水が始まり、とても堤防の向こうまで行ける状態じゃなかった。

その人も恐ろしくなって、堤防の手前でミニバンを降りた。

下手すれば、車ごと流される恐れがあったからだ。

そこから十数メートル走って、懐中電灯で前方を照らした時、前方に七人の姿が見えた。七人も全力で堤防から退避しようとしていた最中だった。

その人は懐中電灯で合図し、車に誘導しようとしたが、あっという間に足元が崩れて、高波に呑まれたそうだ」

「そんな馬鹿な……父さんが死んだのは運が悪かっただけだと……ほんの数分差で命を落としたというのか……」

「本当に気の毒だった」

「気の毒? 気の毒だって? それじゃ、父さんの人生は何だったんだ? 皆のため、社会のために必死に尽くして、これが答えか? そんな馬鹿なことがあってたまるか。なぜ父さんが死ななきゃならない。それも数分差で!」

「ヴァルター……」

「俺はそんな話は信じない。その人は父さんを見捨てて逃げたんだ。救おうと思えば救えたのに、怖くなって立ち去った」

「信じろ。その人はすぐ側まで迎えに行ったんだ。懐中電灯で合図した時、お前のお父さんの顔が見えたと言っていた。ほっとしたような笑みを浮かべたのが今も忘れられないと」

「やめろ。そんな話は聞きたくない。ほんの数メートル先に救いの光を見て、命を落としたなんて、そんな酷い話があるか。俺は絶対に信じない」

「嘘をつく人が十六年間もヘルメットを後生大事に持ってると思うか? 贖罪の気持ちがあればこそ、捨てるに捨てられなかったんだ。オレはその人の話を信じる。助けに戻ろうとしたのも本当だ」

「どこのどいつだ? 名前は?」

「それは教えられない。その人との約束だ。その人もずっと苦しんで、名乗りをあげたくても、あげられなかった。だけどリロイの記事を読んで、やっと勇気が持てたそうだ。お前のこともすぐに分かったらしい。記憶の中の顔にそっくりだと」

「……母には、何て?」

「すぐに連絡して、こっちに来てもらった。一目見て、お父さんのヘルメットと確信された。お前が子供の頃に貼り付けたサッカーボールのシールも残ってた。小指の頭ほどの」

「スナック菓子のおまけだ。ベルトの付け根に貼ったんだ。いつも一緒に居られるようにと」

「その人も避難する際、倒木に乗り上げ、車が横転して大怪我を負ったらしい。でも、ヘルメットを被っていたおかげで命拾いしたそうだ。お母さんもずっと泣きっぱなしで、ヘルメットを大事に布にくるんで持ち帰られたよ。すぐにお前に知らせたい様子だったが、もうすぐ大事なミッションがあるから、折りを見て連絡すると仰ってた。……オレも待っていた方がよかったかな。でも、一日も早くお前に知らせたかったんだ。きっと心の励みになるだろうと思って」

「……」

「お前には本当に気の毒だが、やはりあの晩に亡くなってたんだ。酷いようだが受け入れるしかない。お父さんも『待たなくていい』と言ってるような気がする。それを知らせるためにヘルメットが出てきたんだろう。ともかく、メイヤーの計画はストップがかかったし、今では皆が『緑の堤防』を共通のビジョンにしている。お前のおかげだ。本当にありがとう。ミッションが終わったら、一日も早くお母さんに電話してやれ」

ヤンは励ましたが、彼は床に崩れ落ち、茫然自失とした。

あと数分。

あと数メートル。

そんな僅かな差で父は命を落としたというのか。

父の愛、父の正義は一体何だったのだ?

父の努力は、卑怯者の幸運にも及ばないというのだろうか?

(何が運命だ!)

彼は両手を床に叩き付けると、幾度となく呪いの言葉を吐いた。そして、その為に、永遠に夜の海を彷徨うことになっても、こんな理不尽な世の中に尽くすより、よほどましな気がするのだった。

前のエピソード次のエピソード

『心の復興』に関連する記事

この記事を書いた人

石田朋子

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。科学番組の全盛期に子供時代を過ごした影響でSFを書いています。モットーは『Newtonから月刊ムー』まで。文芸とサイエンスを融合した新しいスタイルの作品を手掛けています。

運命はただ試すだけ

海洋SF MORGENROOD 《曙光》

上・下巻ともKindle Unlimitedにて配信中。
メンバーなら課金ゼロで読み放題です。
購入された方には読みやすいPDF版を無償で差し上げています。お気軽にチェックして下さい。