第三章 海洋情報ネットワーク ~さざ波 (6)

文明と鉱業と鉱山労働者

宇宙文明を支える稀少金属ニムロディウムを一手に収めたファルコン・マイニング社に反発するヴァルターは鉱業局の調査官にも懐疑的だ。採鉱プラットフォームの立ち入り検査の後、疑心を率直に伝えると、調査官は相対する二つの正義について語り、罪の平原に立てば、鉱山労働者への責は皆同じだと説く。

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その夜遅く、ヴァルターは一人甲板に出ると、懐かしいムーンプールに足を向けた。

夜間照明に照らされ、真夏のクリスマスツリーのように輝くタワーデリックの横を通り過ぎ、ムーンプールの近くまで来ると、幅10メートルの開口部の下で激しく波打つ音が聞こえてくる。いつもながら惑星の鼓動を思わせるようなダイナミックな響きだ。そして、その中央には、外径約五十五センチの揚鉱管が深々と突き立てられ、水深3000メートルの海底に真っ直ぐ伸びている。

ここに来た頃は、ただただそのエネルギーに圧倒され、ミッションを成し遂げることで頭がいっぱいだったが、それで本当に正解だったのか、今は少々懐疑的だ。対岸にはいつでも相対する正義があり、どちらの側にも言い分がある。正義が絶対的でないなら、人は何を軌範に行動すればいいのだろう。

その時、彼は背後に人の気配を感じ、手すりから離れて振り返った。

マイルズ調査官だ。

五十半ばのマイルズは夜の潮風が堪えるのか、カーキ色の厚手のジャケットを羽織り、襟首を立てている。今夜の外気温は十五度。大した寒さでないが、ムーンプールに響き渡る激しい波音が冷気を感じさせるのだろう。マイルズは太い首を亀のようにすくませながら、「やあ、君も夜の散歩かね。娯楽室で皆と一緒に飲まないのかね」と聞いた。

彼が軽く首を振ると、マイルズは彼の隣に並び、黄色い塗料が塗られた手すりから身を乗り出すようにしてムーンプールの奥底を覗き込んだ。

「それにしても、すごい迫力だね。本当にこの下は水深3000メートルの海底なのかい?」

「本当です。何一つ遮るものはなく、真っ直ぐ海の底まで続いています」

「まるで宇宙の奈落だね。この年になって、こんなすごいものを目にするとは思わなかった。これまで様々な鉱山を見て回り、全長3000メートルの世界最深の坑道にも入ったことがあるが、プラットフォームはまた違った意味で迫力がある。海洋のエネルギーを丸ごと吸い上げるような見事なダイナミズムだ」

彼が意外そうにマイルズの顔を見ると、マイルズは改めて採鉱システムを見回した。

「ここに来る前、プラットフォームに関するいろんな噂を聞いた。海中に重油や廃棄物を垂れ流しにしているとか、従業員は狭い船室にぎゅうぎゅう詰めにされ、風呂にも入れないとか。『採鉱システムは不安定で、作業員は常に命の危険にさらされている』とも聞いたが、重機はオペレーションルームで完全制御され、オペレーターはほとんど海に出ることもない。悪天候や非常時には数時間で揚収するそうだね。長さ3000メートルを超える鉄のパイプだ」

「二十年以上かけて改良を重ねたシステムです」

「ここに来る前、マクダエル社長と話したよ。ぶしつけなことも聞いてみた。これだけの採鉱システムを莫大な経費をかけて操業して、採鉱量がこの程度なら大した収益にはならないでしょう、と。苦笑しておられたよ。そんなことは三十年前から織り込み済みだって」

「そうでしょうね」

「じゃあ一体、何が目的で始められたのです? と尋ねると、『そこに可能性が在ったから』。でも、よくよく聞けば事業の話じゃない、人間の可能性のことだ。人間の可能性を開くために何百億の投資を? すると、社長はこう仰った。『事業とは、突き詰めれば人間じゃないか』と。私も長年、様々な経営者や専門家や権威ある人と話をしてきたが、あんな言葉を聞いたのは初めてだ。一瞬、職務を忘れそうになったが、聞くべきことはきっちり聞かせてもらったよ。それで分かったのだが、マクダエル社長はティターン海台以外は採鉱する気がないんだね。三十年かけて掘り尽くしたら、いったん事業を休止して様子を見るかもしれないと仰ってた。まあ、その頃にはこれらの施設も老朽化して、採鉱の継続も困難になるだろうから、当然といえば当然だが」

「それは初めて聞きました」

「海には宇宙規模の価値があるそうだ。海の本当の価値が分かるのは、人類が滅び去ったその後だってね」

彼は我が耳を疑った。それは初めてアル・マクダエルに会った時、売り言葉に買い言葉で口にした文句ではないか。

「そう、それは君が言ったんだってね。あの方も苦笑いしておられたよ。『この年になってから、あんな言葉で噛み付かれるとは思わなかった』と。それで少し君のことも聞いてみた。真面目で優秀な幹部候補生に見えるのに、なぜ側に置かれないのかと。社長はこう仰ってたよ。『鉄は熱いうちに打てと言う。だが、熱い時に打ち損なった鉄は、どうやって正せばいいのか。もう一度、激しく叩き直す? それとも使い物にならないと見捨てるか? 一番手っ取り早いのは、もう一度、溶鉱炉にぶち込むことだ。だが人間は鉄ではない。だから自分から変わるのを待っている』と。それもまた気の長い話ですねと言ったら、自分で悟得したものだけが確実だと仰ってた。それだけが真に人間を強くすると」

「……」

「賢哲な人だと聞いていたが、ほんの十分ほどの会話で、あそこまで相手の精神に触れられる人も希有だね。人間というのは、一つのことにとことん従事すれば、あそこまで高められるものなのかね」

マイルズは素直に感銘を表すと、今一度、ムーンプールを覗き込み、

「わたしにはただの海水にしか見えないが、見える人には、いろんなものが見えるんだろうね」

「あの……マイルズさん」

「なんだね?」

「ここは本当に大丈夫なんですか。鉱床情報を隠しているとか、安全性を無視しているとか、記者やTV番組で批判され、周りは必ずしも好意的ではありません。理事長に何かあったら家族が責任を追及されたり、プラットフォームの管理者が処罰されるのではないかと、いろいろ気掛かりで」

「それは事業者次第だよ。法規に従えば問題はないし、破れば即座に責任を問われる、車の運転と一緒だ。交通ルールに従う限り、むやみに処罰はされない。たとえ派手に電飾した大型トラックでもね」

「鉱業権も?」

「もちろん」

「それならいいんです。前に、鉱業局も大きな勢力とグルになって、ライバル企業を潰しにかかるという噂を耳にしたものですから」

「要は、MIGが正義で、ファルコン・マイニング社は悪だと言いたいのだろう」

「いえ、そんなつもりは……」

「誤魔化すことはないさ。君の立場からすれば、そう感じるのが自然だ。ファルコン・マイニング社にも社会的意義があり、鉱業活動を維持する真っ当な理由があるといっても、君は納得しないだろう。もっとも、それは君に限らず、世間一般に共通の感情だ。あそこまで企業イメージを損ねては、今更立派な理念を唱えたところで誰も信用しない。それについては、ファルコン・マイニング社の自業自得と言えるだろう。ところで、君はネンブロットを訪れたことがあるかね?」

「いえ」

「そうか。機会があるなら一度行ってみるといい。飛行機からもはっきり見て取れる巨大な露天掘りの跡を見れば、文明の本質がよく分かる」

「それほど大規模な鉱山が?」

「掘って、掘って、掘り返して、まだまだいろんなものが出てくるだろうね。惑星全体が鉱脈みたいな所だ。あと二世紀、三世紀と、鉱物資源の世界的供給地として役割を果たすだろう。人間の文明は『石』から始まったというが、今もearth(地)を土台に成り立っている点は変わらない。機械、建物、道路、ありとあらゆるものがネンブロットの鉱物から作られている。我々はまさに大地を食い尽くす貪欲な蟻だよ」

「あなたはどうして鉱業局を希望されたのですか?」

「社会科の自由研究の延長だ。小学校の時にネンブロットの鉱山をテーマに選んだ。学期末の宿題でね。資料が集めやすいと思ったんだ。しょっちゅうニュースで流れているから」

「予想通りでした?」

「子供の研究発表としては上出来だったよ。鉱山労働者の健康問題に関するニュース記事を切り抜いて、社会正義を叫ぶだけで、教師は満点をくれた。両親も大喜びだ。だが現実はまったく違っていた。

初めてネンブロットを訪れたのは高校生の時だ。家族旅行で北極近くにある氷のホテルを訪れた。あのエリアでは氷原の地下を掘って鉱物を採掘している。周辺の熱エネルギーを利用して宿泊施設を運営しているんだ。私も家族も大満足で、小学校の自由研究のことなどすっかり忘れていたよ。

だが、いよいよ帰りの日が近づいて、父親に『他に回ってみたい所はないか』と聞かれた。

その時、ふと思い出したんだ。ニムロイド鉱床の中で最も過酷と言われるヴォラク坑道のことを。

そこは特に高濃度のニムロディウムが産出することで知られている。だが、地中の奥深くまで達するので通常の重機は入れない。人の手で掘り返している。まるで装甲みたいなマシンを使ってね。環境に問題はない。空気は清浄で、水も新鮮なものが絶えず補給されている。だが、長時間、何年も、20キロ近いマシンを担いで岩盤を掘り続ければどうなるか、君にも分かるだろう? 彼らの仕事は長く続かない。そして辞めた後も健康障害は続く。ファルコン・マイニング社は言う。常に坑内の環境には留意し、従業員には検診も受けさせていると。

だが、きれいな空気を吸い、清浄水を与えられても、代わりにマシンを担いでくれる人間はない。肩が痺れ、手先が震えても、生きる為に掘り続ける。

そして、ファルコン・マイニング社も坑道を閉鎖するつもりはない。世界中がそれを必要としているからだ。

世間は鉱山労働者を守れと声高々に叫ぶ。

だが一方で、ニムロディウムを使った製品も欲しい。

矛盾というなら、世界そのものが矛盾だよ。君だって、ファルコン・マイニング社に疑問を感じながらも、パソコンは使うだろう。性能の良い新製品が出れば、楽しみに買いに走るはずだ。そこにヴォラク坑道で採掘されたニムロディウムが使われていたとしても、そんなことまで気に留めない。一時期、義憤は覚えても、やはり便利な生活を取る」

「確かに……」

「罪深いというなら、我々みんなが罪深い。皆が求めるから、ファルコン・マイニング社も存在し続ける。鉱業局に入ったのは、そういう動機からだ。小学生の正義感では到底解決し得ない問題と正面から向き合ってみたかった。誰だって自分は正義の側だと信じたい。自分は物事を正しく理解し、正しい感性を持っていると。だが、ネンブロットの平原に立てば、みな同じだ。あそこを見れば、どんな正義の叫びも空しく感じる。『だって、お前もここで採掘されたものを土台に暮らしているじゃないか』。わたしは今でもその答えを探している。何が正しくて、何が救いになるか。わたし一人が答えを見出したところで、世界は少しも変わらないかもしれない。だが考える。真実の答えを探求する。その為だけに存在する人生があってもいいのではないかね? 勝ちも負けもない。ひたすら探し求める人生だ。君がどんな青春を歩んできたかは知らないが、こうと決め付けるには早過ぎるんじゃないかね」

「正しいことが報われなくても?」

「だから言ったろう。ネンブロットの平原に立てば、みな同じだと。今、君は自分の正義が報われなかったように感じている。だが、正義とは報われる為にあるものか? 行動するためにあるのだろう」

彼の脳裏に、風雨の中、堤防を守りに戻った父の姿が浮かんだ。あの時、父は自分の正義が報われるかどうかなど考えもしなかっただろう。ただ行動しただけだ。息子に自身の生き様や哲学を示すために。

マイルズは薄くなった頭髪を掻きながら、

「わたしは自分の人生において一つだけ深く後悔していることがある。それは目の前の問題ばかりに集中して、後進のことはあまり気に掛けなかったことだ。その点、マクダエル社長は幸せな人だね。人を育てる喜びも知っている。あの人の目から見れば、君は『打ち損なった鉄』のようだが、今に分かるんじゃないかね、あの人が君をここに連れてきた真の理由が。それじゃあ、そろそろ失礼するよ。明日は午前八時から調査再開だ。まったく慌ただしいことだ」

そう言うと、マイルズは手すりから離れ、飄々と甲板を歩いて行った。

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この記事を書いた人

石田朋子

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。科学番組の全盛期に子供時代を過ごした影響でSFを書いています。モットーは『Newtonから月刊ムー』まで。文芸とサイエンスを融合した新しいスタイルの作品を手掛けています。

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