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潜水艇パイロットの矜持  一生誇りに思えるように

海
海と恋の物語
ウェストフィリア近海の海底鉱物資源に執着するロバート・ファーラーは、自らが出資する開発公社を使ってメテオラ海丘の深海調査を指示する。初めての潜航を前に、不安に青ざめる新米パイロットにヴァルターは潜水艇パイロットの矜持を説く。
目次

【科学コラム】 潜水艇のパイロットとは

世界的にも、宇宙飛行士の暮らしや人柄、訓練内容などはよく伝えられますが、有人潜水艇のパイロットに関しては、ほとんど情報がないのは何故でしょう。
たとえば、NASAで活躍する日本人宇宙人飛行士の名前は誰もが知っていますが、JAMSTECの有人潜水艇『しんかい』のパイロットの名前はほとんど知られていません。メディアに大々的に取り上げられることもありません。非常に希有な技能でありながら、世間の関心もいまひとつ、といった印象です。

しかし、世界にこれほどユニークな仕事も二つとありません。現在、水深4000~6000メートル級の有人潜水艇を有するのは、アメリカ、フランス、ロシア、中国、日本の五カ国に限られますが、いずこも積極的に調査に取り組み、技術水準も高いです。無人化の技術がいっそう進んでも、有人調査は決してなくならないでしょう。何故って、人間の目とカメラは異なるし、その場その場で臨機応変に対処できるのは、やはり人間の方が上だからです。

めざせ水深10000メートル……という話もあるようですが、一番深い所まで潜れるのが、一番優秀というわけでもありません。

「どれだけ深く潜るか」より「何を見出すか」の方がはるかに重要です。

本作でも触れていますが、海洋調査に使う有人潜水艇は、海軍の原子力潜水艦みたいに、何日も、何百キロも、連続して潜行するパワーはありません。
一度の潜航で調査できる範囲は限られているし、どれほど綿密にスケジュールを立てても、海が荒れればキャンセルになることもあります。

それでも有人潜航が求められるのは、人間の目と感性でしか見出せないものがたくさんあるからです。

【小説】 パイロットの矜持 一生誇りに思えるように

ダナ・マクダエルから、北方の火山島ウェストフィリアと、青い貴石『ブルーディアナイト』にまつわる悲劇を聞かされたヴァルター・フォーゲルは、決意新たに出航する。

しかし、肝心の深海調査は動機も前準備も杜撰そのもので、スタッフの士気もバラバラだ。ファルコン・マイニング社の使いとして調査に同行したオリアナは、相変わらず挑戦的で、ヴァルターの忠告を聞こうともしない。

皆が不安に感じる中、第一回目の潜航が始まり、ヴァルターは新米パイロットのユーリを補佐して、海洋学者のノックスと共に、水深2000メートルのメテオラ海丘のカルデラ底を目指す。

真摯に努めを果たそうとする新米パイロットと、研究者らの熱意により、現場の士気も徐々に高まるが、そこにファルコン・マイニング社のロバート・ファーラー社長が視察に訪れ、「学説も金で買える時代だよ」と、科学者の良心に背くことを強要する。

恋人リズの命を人質に取られ、身の安全か、科学的真実か、板挟みになったヴァルターに「その場に行けるのは一度きりだよ」と力強い助言を与えてくれたのは、かつての上司、ランベール操縦士長だった。

大勢が潜水艇からの実況を見守る中、三度目の潜航が始まり、ヴァルターはアシスタントを務めるゾーイに「理由などなくても生きている深海の世界」を語り、思いがけないものを発見する。

このパートは『第四章・ウェストフィリア(深海調査)』の抜粋です。作品詳細はこちら

翌朝六時に目を覚ますと、相部屋の司厨士は既に朝食の準備に入って船室にはおらず、ヴァルターは一人でベッドから起き出すと、寝ぼけ眼で共用洗面所に行った。

洗面所では既に数人が歯を磨いたり、髭を剃ったり、運航の準備に慌ただしい。一人が彼に気付いて場所を空けてくれたが、彼はシャワーブースに直行すると、カランを目一杯開いて、頭から熱い湯を浴びた。

今日の調査対象は、ドームが撮影された北側カルデラ壁の直下だ。水深二五〇〇メートルのカルデラ底と、そこから崖のようにそびえる高さ三〇〇メートルのカルデラ壁を中心に目視する。

予定潜航時間は六時間、午後四時には浮上して揚収の予定だが、天候が悪化すれば早めに切り上げる。

潜航に往復一時間かかるとして、実質的に調査できるのは約五時間。

平均一・五ノットで潜航したとして、一時間に移動できる距離は約二・七キロメートル、単純計算すれば五時間で十三キロメートルは動けるが、始終、一・五ノットのスピードで航行するわけではないし、途中、ビデオ撮影やサンプリングの為に停止もするから、十キロメートルも調査できればいい方だろう。

彼は海底地形図を脳裏に浮かべ、おおよそのルートを思い描いた。

まずはカルデラ底に着底し、周囲を観察した後、ドームが発見されたポイントを重点的に精査。次いでカルデラ壁に沿って徐々に上昇し、階段状になった地形や堆積物などを観察する。三十六年経った今も、同じ場所にドームが存在するとは思えないが、ともかくカルデラ底の礫岩や堆積物など科学的に役立つサンプルは良い状態で持ち帰りたい。

シャワーを終えると、いったん船室に戻り、リズが差し入れてくれたサーモ機能の黒いアンダーシャツと、裏起毛のパーカーに着替えた。

そういえば、パイロットになりたての頃、母が、深海では耐圧殻の室温が摂氏二、三度にまで下がると聞いて、「まあ、フランスの潜水艇なのに暖房も入らないの?! あなた、そんな寒い所に何時間も閉じ込められて、本当に大丈夫なの?」と目を白黒させながら、靴下やらセーターやら、冬物衣料をどっさり送ってきたことを思い出す。あの時は(余計なことをするな)と苛立ちもしたが、今なら素直に「ありがとう」が言える。

長袖のアンダーシャツに手を通し、安物の化繊とは比べものにならないような高級カシミアの肌触りに嘆息しながら、毛混の靴下を履き、カーキ色の厚手の作業パンツを穿く。それから、耐圧殻に持ち込む資料や小型タブレット端末、飲料水、スナックなどを小さな小型リュックに詰めると、防寒ジャケットを軽く羽織って格納庫に急いだ。

格納庫ではフーリエをはじめ、昨年十月の接続ミッションで顔を合わせた運航部のスタッフが慌ただしく最後の点検を行っている。上下左右に指示の声が飛び交う中、彼は作業台に固定された黄色い船体を見上げ、気を引き締めた。

接続ミッションは観察よりも作業重視で、周りの様子をじっくり目視する余裕もなかったが、今回は本来の任務に立ち返り、対象にアプローチする。今も「価値ある何か」を見つけ出す自信はないが、潜るからにはじっくり観察したい。

やがて船体の後ろからフーリエが顔を出し、「夕べは眠れたか?」と声をかけた。

「今日はついてるぞ。外気は氷点下三度だが、波も風も信じられないほど穏やかだ。洋上のことは気にせず、じっくり見て回るといい」

「もう一人のパイロットは?」

「ちと緊張して、奥のワーキングルームに座ってるよ。三回ほど試験潜航してるが、本物の探査は初めてだからな。ほんの二五〇〇メートルと言ってるが、かなりナーバスになっている」

「二五〇〇メートルでも新米にはプレッシャーだよ。泳いで帰れる距離じゃない。ちょっと様子を見てくるよ。名前は『ユーリ』だっけ?」

「ユーリィ・アカペンギン……いや、アガンベギャンだ。また間違えた」

「じゃあ、ユーリと呼ぼう。それが無難だ」

彼は格納庫の奥に進み、半透明のパーティションで区切られたワーキングルームをのぞき込んだ。すると、壁際の長机の端に、カーキ色の作業着を着た若い新米パイロットが血の気のない顔で座っている。

年は二十代後半、スリムな体つきで、見た目は健康そうだが、不安と緊張で、色素の薄い顔がいっそう青白く見える。

「ユーリ?」

彼が声をかけると、男性ははっと顔を上げて、席を立ちかけた。

「いいよ、座って。搭乗まで、まだ半時間ある」

彼はユーリの隣に腰を下ろすと、「緊張するだろ?」と、以前の自分を重ね見るように言った。ユーリは「ほんの二五〇〇メートルですから」と気丈に答えたが、声が少しうわずっている。

「君らの置かれている状況は、俺の時よりずっと難しい。俺が初めて操縦席に着いた時は、この道二十年のベテラン操縦士長が隣でサポートし、海上では最先端の知識とキャリアを備えたスタッフがナビゲートしてくれた。それこそ大船に乗った気分だった。だが、君の置かれた状況はまったく違う。怖くて当たり前だ」

「しかし、情けないですね」

「そんなことはない。航海士でも、飛行士でも、最初から自信満々で操縦桿を握る人などないよ。それに、ニムロイド合金の耐圧殻を使った旧式の潜水艇は、珊瑚礁ツアーで使われているメタクリル型の観光潜水艇より、ずっと安全で、頑丈だ。プルザネのプロテウスも建造されてから半世紀以上経つが、事故は一度も起きたことがない。さらに遡れば、Anno(アンノ) Domini(ドミニ)の時代から数千メートル級の有人潜水調査は行われているが、その間も死傷者が出るような事故はいっさい無しだ。それぐらい安全管理が行き届いている。むしろ水上スキーやスクーバダイビングの方が危険なぐらいだよ」

ユーリは青白い顔を両手で撫でながら、

「僕は元々、操船に興味があって、将来、大きな船の一等航海士にでもなれたらと、ローレル・インスティテュートで船舶工学や航海術を学びました。昨年、たまたまノボロスキ社の求人を見つけて、話だけでも聞いてみようと訪れたら、いきなり潜水艇がどうのこうのと言われて、格納庫に連れて行かれて……。家族や知人に相談したら、特殊技能を身に付けた方が就職にも有利とか何とか言われて、軽い気持ちで講習会に参加したら、そのままパイロットに」

「潜水艇は嫌い?」

「そんなことはないですよ。操船は楽しいです。一般の船と全く違うし、特殊な感じで、ちょっと格好いいかな、って。でも、海の怖さを知れば、嫌なことも考えます。今は二〇〇〇メートルの経験しかないですが、これが四〇〇〇メートルになり、六〇〇〇メートルになり、もっと過酷な現場に赴くようになれば、どうなるんだろうと――。なんで潜るんですかね。無人機でも十分なのに。ノボロスキ社でも、すごい自航能力をもった潜水ロボットを開発中です。七〇〇〇メートルの海底でも魚みたいに自由に行き来できるそうですよ。そんなのが出来たら、もうプロテウスなんて必要ないじゃないですか。こんな危険を冒しても、人が潜水する意義があるんでしょうか?」

「気持ちは分かるよ。潜水艇で三〇〇〇メートルや四〇〇〇メートルの深海に潜って、何が見えるかと言えば、一面の暗闇だ。まるで月夜の火口を懐中電灯一本でさ迷っているような気分になる。一年に何十回と潜っても、学界があっと驚くような大発見など、一生に一度、あるか、ないかだ。大深度潜水艇といっても、航行速度は人の歩く程度、視界はほんの十メートルで、地上の野山のように色鮮やかでもない。潜航時間も限られて、数キロも動けたら上等だ。大西洋の隅から隅までくまなく調べようと思ったら、千年かけてもまだ足りない。しかも、海洋底は日に日に移動し、少しずつ形状を変えてゆく。相手は何千万年という尺度の中で生きているんだ、人間の知識や技術が簡単に追いつくわけがない。それでも、人は見たい、知りたいと思う。水中カメラを通してではなく、自分自身の眼で確かめたいと願う。何度も潜っていたら、いつか宇宙を形作るエネルギーを身近に感じるようになるよ」

「ずいぶん深遠な話ですね」

「本当のことさ。このアステリアにも宇宙に通じる場所はたくさんある。水深数千メートルに阻まれて、人間の目には見えないだけだ」

「それを発見すれば、パイロットとしての格も上がりますかね?」

「そうじゃなくて、一生、誇りに思える」

「あなたも誇りに思うことが?」

「曲がりなりにも一所懸命に取り組んでよかったと思ってる」

ユーリは少し納得したように淡いブルーの目をしばたくと、気持ちを切り替えるように大きく息をついた。

格納庫はいっそう慌ただしくなり、彼はダイバーズウォッチを見やった。

【リファレンス】 フランスの海洋調査船と潜水艇のパイロット

海洋調査船って、カッコいいですよね。こちらはフランスの国立海洋開発研究所(IFREMER)の潜水艇『Nautile』の支援船『Le Pourquoi Pas?』です。

http://flotte.ifremer.fr/fleet/Presentation-of-the-fleet/Vessels/Deep-sea-vessels/Pourquoi-pas
IFREMER 海洋調査船

船の内部も、馴れたらオフィスか工場みたい。一度、乗ってみたいですね。

こちらはOcean Exploration Trustが所有する海洋調査船Nautile号の紹介ビデオです。
調査船の中には整備室、事務室、オペレーション室、食堂、娯楽室など、様々なスペースがあり、まさに洋上研究所です。

こちらはアメリカの潜水艇『Alvin』。タイタニック号の探査でも活躍しました。
インタビューのポイントは、無人機か、有人探査か、という比較の話ですが、やはり人間の視覚から得る情報の質と量が大きな違いのようです。
動画のBGMがうるさくて、パイロット氏の話が聞き取りにくいですが。
耐圧殻の内部の様子も一瞬見えます。

Alvinの内部をさらに詳しく紹介しています。画質も綺麗です。

カリフォルニア湾、ペスカデロ海盆の熱水噴出孔。画質も綺麗で、深海のダイナミズムが伝わってきます。

海山、海丘など、海底に広がる地形も美しいものです。 もっとも、人間の肉眼で見渡すことはできず、画像処理されたカラーマップで全容を把握するのみですが。

Nautilus Live より
Nautilus Live 色付けされた海山

Nautilus Live 色づけされた海山

本作のメテオラ海丘の参考にもした、アメリカ東海岸、オレゴン・コースト近海に広がる Axial Seamounts 海底火山です。
東海岸の地震とも深い関わりがあり、モニタリングが続いています。

フーリエが口ずさむ『愛の賛歌』(エディット・ピアフ)はこちら。

Kindle Unlimited (読み放題)

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この記事を書いた人

家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。科学番組の全盛期に子供時代を過ごした影響でSFを書いています。モットーは『Newtonから月刊ムー』まで。かつて宇宙を夢見た少女は深海に魅せられて海洋科学の転向しました。今でもハヤブサより、しんかい派です。

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