第一章 運命と意思 ~オランダ人船長 -亡魂-(1)

ロイヤルボーデン社と意匠の盗用

再建コンペで一般市民の高評価を得たヴァルターは意気揚々とロイヤルボーデン社に出かけるが、そこで指摘されたのは宣伝用パースの意匠の盗用だった。
ヴァルターは雑誌のパースを参考にしたことは認めるが、意匠の盗用には当たらないと反論する。
だが、友人の名誉を守る為、否応なしに示談書にサインする。

41

十二月一日。

ヴァルターとヤンは総合評価『第二位』の通知を受け取った。一位は言わずと知れたフランシス・メイヤーだ。「総合判断で最も優れる」が理由である。一般投票では『緑の堤防』が圧勝しながら、結局メイヤーが一位になったことについて、下馬評通りの出来レースと揶揄する声もあるが、彼にもヤンにも悔いはない。コンペを通じて住民の願いを広く知らしめ、大きな支持を得ることができたからだ。

コンペ実行委員会の話では、住民の意見を尊重して、年明けにも有識者会議を開き、臨海都市計画を見直すという。たとえメイヤーが再建案を主導するにしても、これほどの願いを無視してデンボンメルの植樹を取り払ったり、ようやく収穫が叶った農地をブルドーザーで掘り返すような真似はしないだろう。

その日、ヴァルターとヤン、クリスティアンとイグナスは、デンボンメルを訪れ、それぞれの苗木に語りかけた。

ヤンは避難先で急逝した祖母のこと、クリスティアンは全壊した生家のこと、イグナスは心を病んで今も入退院を繰り返している父親と、離別して遠くに行ってしまった母親のことを思いながら。

十二月五日。

表彰式の後はダイニングバーを借り切って、ささやかな打ち上げパーティーを催した。その席で、ヤンは兼ねてからの約束通りカレンにプロポーズし、春には挙式することを皆に宣誓した。カレンは学生時代からの念願が叶ってほくほくだ。彼がヤンのアパートに引っ越した時、ひどい悪態をついたことも忘れて、上機嫌で彼のグラスにビールを注いでくれる。

イグナスは一週間前に二人目の男の子が生まれたところ。何十枚と撮影した赤ん坊の写真を皆に見せ、とても嬉しそうだ。クリスティアンのところも来年の夏には待望の一人目が生まれる。皆それぞれに人生の礎を築き、新たな一歩を踏み出すところだ。

ヴァルターは皆の幸せそうな笑顔を見ながら、自分もそろそろプルザネに帰る支度をしなければと思う。

先日、海洋技術センターにスケジュールを尋ねたら、「追って連絡する」としか返事がなく、今、自分のステータスがどうなっているのか見当もつかない。ひょっとして潜航調査のオファーも激減しているのかと気になったが、とにかく年明けにはプルザネに戻って、職場に顔を出さねばならない。

そんな彼の元にコンペの実行委員会から電話がかかってきたのは、表彰式の一週間後、十二月十二日のことだ。『緑の堤防』のことで話があるから、近日中にロッテルダムのロイヤルボーデン社に一人で来て欲しいという。

特に用事もなく、ロッテルダムなら高速バスで一時間弱だ。彼は明日午後に訪問すると即答し、ヤンにも上機嫌で報告した。

「そりゃあ、きっと目出度い話にちがいない。『うちで本格的に緑の堤防を手がけるから、君もプロジェクトに携わらないか』なんて話だったらどうする?」

と朗報を信じて疑わない。

プロジェクト・メンバーに迎えられるかどうかはともかく、緑の堤防が高く評価され、それに近いものが再建されるなら、これほど嬉しいことはない。彼は大いなる期待を抱いて、一路、ロッテルダムに向かった。

ロイヤルボーデン社は、ロッテルダムに本社を置く世界有数の建設会社だ。創業三〇〇年を誇り、ネーデルラントの国作りにも大きく貢献している。ダム、橋梁、トンネル、鉄道、海上空港といった大型土木はもちろんのこと、高層ビル、商業施設、スタジアムなどの箱物も得意とし、ここ数十年は積極的に宇宙植民地の開発を手がけ、ますますシェアを広げている業界の雄だ。本社ビルはロッテルダムの動脈ともいうべきニューウェー・マース川の中州の突端にあり、ロケットのように河口にそびえ立つ。メインビルディングは二十一階建ての省エネルギービルで、上空から見ると丸みを帯びた正三角形をしている。アイスブルーのガラス窓と白い外壁のコントラストが水晶のように美しく、敷地内には人工小川の流れるビオトープもある。

彼はバスとトラムを乗り継いで中州の近くまで来ると、改めて正三角形の本社ビルを見上げた。噂にたがわぬ壮麗な建物で、辺り一帯を睥睨するような威圧感がある。なぜ自分だけがここに呼び出されたのか不思議な気もするが、チームリーダーと話せば事足りるのかもしれない。

正面玄関の回転ドアを通り抜けると、エントランスは二階吹き抜けのアトリウムで、日の差すカーテンウォールが目に眩しいほどだ。自動受付のブースで先方から教わった六桁の暗証番号と自身の名前をタッチパネルに入力すると、フロアの案内図と部屋番号が映し出された。

1022号室。

エレベーターで上階に向かい、『1022』のナンバープレートが掛かったドアをノックすると、年配の女性事務員が奥の応接室に案内してくれた。応接室は五メートル四方のこぢんまりした部屋で、背の高いイミテーショングリーンと黒い革張りのソファセットが置いてある。彼がぎこちなくソファに腰を下ろすと、女性事務員は「すぐに部長が参りますので、しばらくお待ちください」と断りを入れ、静かに退室した。

なんとなく落ち着かず、ソファに深く座り直した時、ドアが大きく開き、二人の中年男性が入ってきた。

一人は身長二メートルはありそうな銀髪の大男で、上級管理職らしい風格が漂う。もう一人は小柄な男で、ネズミのように背を丸めているが、仕立てのいいビジネススーツを身に付け、そこいらの平社員ではなさそうだ。

大男は彼の真向かいにどっかと腰を下ろすと、猛禽のような緑灰色の眼で彼を睥睨し、分厚い唇を歪めた。名前はウデル・ローゼンブルフといった。ロイヤルボーデン本社の土木統括部長で、副社長でもある。シャベルのように四角い顔をし、役職にふさわしい貫禄もあるが、顔付きは傲岸で、部下に慕われるタイプには到底見えない。

もう一人の小男は弁護士のティム・ヨンク。ロイヤルボーデン社の法務部で知的財産に関する案件を担当している。先程からそわそわと落ち着かず、法務担当という割には気弱な印象だ。

自己紹介もそこそこに、ローゼンブルフは『緑の堤防』について切り出すと、

「潜水艇のパイロットとは思えない見事なプレゼンだったね。『緑の堤防』のパースは君が描いたんだって?」

と賞賛するように言った。すると、彼もほっと顔を緩め、

「俺一人ではないです。仲間が手伝ってくれました。それに、あのイメージは、父が大学時代に購読していた土木専門誌『Zivilisation』に掲載されていたロイヤルボーデン社の『ジオグリーン』の広告用パースからヒントを得たんです。ああいう技術がフェールダムに活かされたらという願いもありました」

「それなら話は早い。自覚しているわけだ、意匠の盗用を」

「意匠の盗用?」

思いがけない言葉に頭の中が真っ白になった。

「そうだ、『意匠の盗用』だ。素人の君でも意味は理解できるよね」

ローゼンブルフが目配せすると、ティム・ヨンク弁護士がドキュメントホルダーを開き、二枚のカラープリントをテーブルに並べた。

左側がジオグリーンの広告用パース、右側が緑の堤防だ。

左手前から右上方に伸びる一点透視法、堤防の外側に青い海原、内側に人工地盤で嵩上げされた田園都市、堤防の天端に二車線の自動車道路が走っている構図はまったく同じである。

「正直、これほど意匠の似通ったものを『自分の作品』などと主張してもらっては困るんだよ。それに堤防の内側を人工地盤で嵩上げし、全体に緑化して護岸強化する技術はロイヤルボーデン社のものだ。他者が利用する場合は使用許諾料(ロイヤリティ)を支払う決まりになっている。それとも三十九年前の雑誌広告を模すだけなら罪にはならないと思ったかね」

「ちょっと待ってください。確かに俺はジオグリーンの広告用パースを参考にしましたが、まるまる写し取ったわけじゃない。盗用なんて誤解です」

「まあ、落ち着きたまえよ。何も今すぐ警察に突き出そうってわけじゃない。意図して真似たのか、あるいは不知の過ちか、それを法的に確認したいだけだよ、ヴァルター・ラクロワ君。本籍はマルセイユだそうだね」

そんなことまで調べているのかと思うと、ざあっと血の気が引いた。

「マルセイユでは結構な身分なんだってね。お母さんはエクス=アン=プロヴァンズの名家の出身で、お継父さんはクレディ・ジェネラル会長の縁戚にあたる人だというじゃないか。面倒が起きれば、ご両親もたいそう心配なさるんじゃないかね」

彼の顔が引きつると、ローゼンブルフはさらに身を乗り出し、

「どうやって描画した? 君は潜水艇のパイロットで、大学の専攻も海洋学だ。土木のことなど何一つ知らない」

「父が治水局の技術者で、子供の頃から堤防や干拓の話をしょっちゅう聞かされました。描画も、父がGeoCAD Civilを使うのを側で見てましたし、自分でもGeoCAD KidsやGeoCAD Juniorで遊んでいました。アプリケーションを使って図形を描くのが得意だったんです」

「GeoCAD Kidsに、GeoCAD Juniorねえ」

ローゼンブルフは小馬鹿にするように言った。

「潜水艇のパイロットがGeoCADの操作に長けてはいけませんか? プロのデザイナーでなくても、ハウスメーカーの営業部員が顧客にイメージを伝える為にGeoCADで簡単なパースを描く例はありますし、パソコン教室のインストラクターだってユーザーに使い方を説明するぐらいの知識や技術は持ち合わせています。GeoCAD CivilやGeoCAD 3D Plusのように高度な製品は無理ですが、GeoCAD ZEROやGeoCAD Standardなら工業高校の生徒でも入門的に使用しています。俺も自分で使い方を学んだんです。教本を読んだり、メーカー主催の講習会に参加したり。プロのデザイナーでなくても、一年みっちり勉強すれば、住宅パースぐらい描けるようになります」

「住宅と堤防は違うぞ」

「でも基本操作は同じです」

するとローゼンブルフは太い足を組み替え、

「君は『3Dキャプチャー』という技術を知っているかね。対象物の画像をスキャンして、コンピュータ設計支援のソフトウェアで解析し、基礎フレームを自動的に構築する。元々は、自分でマイホームやオフィスビルの外観をデザインしたいユーザーの為に開発された技術だが、最近では意匠権トラブルの元凶になっている。無知な一般ユーザーが、住宅メーカーのカタログからパースを取り込み、適当に細部を作り替えて自作と偽るんだ。それと気付かぬ業者がさらに手を加えて、いっそう判別が難しくなる。後でメーカーの作品と酷似していることが発覚し、よくよく問い詰めてみれば3Dキャプチャーが原因だ。時には有名建築家の作品までコピーされることもある。この場合、どこまでが応用で、どこからが意匠権侵害に相当するか、専門家でも線引きが難しい。だが、この機能が『オリジナルを真似て、適当に手を加えれば盗用には当たらない』という誤った認識を広めているのは確かだ。そこで質問だが、君も本当は3Dキャプチャーで当社の広告用パースをGeoCADに取り込み、基礎フレームを構築したんじゃないかね。その後、色やテクスチュアを微妙に調整して、似て非なるジオグリーンを作り上げた。多少手を加えれば盗作には当たらないと踏んでね」

「そんなことは断じてありません。俺は本当に新規キャンパスから立ち上げたんです。基礎フレームも自分で一本一本描きました。キャプチャーなんて考えもしません。それにジオグリーンの技術を取り入れたパースは他の建設会社だって使っています。『緑の堤防』が意匠の盗用というなら、世界中、コピーだらけじゃないですか」

「だが一つ、決定的に違う点がある。他の会社は技術を応用しただけで、デザインまでは真似てないんだよ。だが、『緑の堤防』は明らかに我々の広告用パースの模写だ。君は素人だから知らないだけで、我々の業界では君のような例を《意匠の盗用》というんだよ」

「それが本当に盗用に相当するなら、なぜ第一次審査の段階で問題にならなかったんです?」

「四十代から五十代の審査員が、三十九年前にドイツの土木専門誌に掲載されていた広告用パースを知っていると思うかね? わたしだって、ある人から指摘されるまで気付きもしなかった。だが、そんなことは問題じゃない。どんな経緯であれ、真似れば盗用なんだよ。第一、君自身で認めているじゃないか、『参考にした』と。それが意匠の盗用に相当すると、君の仲間も気付かなかったのかね」

彼が押し黙ると、ローゼンブルフは居丈高に構え、

「当社のジオグリーンを高く評価し、是非にと願う君の気持ちは非常に有り難い。君が熱心に訴えてくれたおかげで、フェールダムはもちろんのこと、デルタ地帯の土木関係者も強い関心をもってくれた。だが、当社の広告用パースを意図的に真似て、自分の作品と主張するのは、我々の業界では明らかにルール違反だ。意匠の盗用が立証されれば、何万、何十万ユーロの罰金、場合によっては一年から三年の懲役が科せられることもある」

「そんな……」

「今まで誰一人、それを忠言する者がなかったとしたら、君の仲間も相当に無知な素人集団だ。ヤン・スナイデル、クリスティアン・ティメル、イグナス・ファン・デル・ファールト。あの三人も君にいい加減な事を吹き込んで、盗作の手助けをした。あるいは故意にやったのか? デ・フルネの知名度を上げるために」

「彼らはそんな卑怯者じゃない」

「だったら、そのように法廷で証言するんだね。弁護士を雇う金なら、マルセイユに唸るほどあるだろう」

「法廷?」

「そうだ。君が意匠を盗用したにもかかわらず、それを認めないなら、裁判で争うしかないだろう。告訴の相手は、君とヤン・スナイデル、残りの二人だ。他にも君に入れ知恵した者があるなら、それも対象にする」

「待ってくれ、仲間には関係ないだろう。俺が提案したことだ。罪を問うなら、俺だけにしろ」

「そういうわけにいかないよ。共同提案者は四名だ。君がロイヤルボーデン社の広告用パースを真似たと知りながら、押せ押せで担ぎ出したとしたら、立派なほう助だ。むしろ業界のルールを知りながら無視したという点で、君よりはるかに罪が重い」

「……」

「ヤン・スナイデルはデ・フルネの代表だったな。地元企業や自治体から助成金も受け取っている。問題が大きくなれば、社会的信用にもひびが入るんじゃないかね。イグナス・ファン・デルサールは二児の父親で、クリスティアン・ティメルはデザイン工房《vanderloop》の出世頭だ。これからという時に面倒は困るだろう」

「彼らを巻き込まないでくれ。盗用というなら、俺一人がやったことだ。彼らには何の罪もない」

「まあ、そう興奮しないで。君や仲間に悪意がないのは明らかだし、書類選考の段階で意匠の盗用に気付かなかった審査員にも落ち度はある。君一人を責めるのも酷というものだろう」

ローゼンブルフは急に態度を和らげると、ティム・ヨンクに目配せした。ヨンクは再びドキュメントホルダーを開くと、白い高級紙にプリントアウトされた法律文書をテーブルに置いた。

「穏便に済ませようじゃないか。今、ここで盗用した事実を認めれば、訴訟は撤回し、以後は不問とする。これが示談書だ。条件は、意匠の盗用を認め、『緑の堤防』を自身の作品として二度と世に出さないこと。そして、その事実をデ・フルネのウェブサイトで謝罪することだ」

彼は息を呑んだ。『緑の堤防』を取り下げるのは致し方ないとしても、デ・フルネのウェブサイトで謝罪するなど、まるで泥棒集団と認めるようなものではないか。

彼が物も言えずに固まっていると、ローゼンブルフは彼の顔を覗き込み、

「どうするね? ここで示談書にサインするか、訴訟を受けて立つか? なんなら、マルセイユのご両親と話し合ってもいいんだよ。ラクロワ氏なら最高の弁護士を付けてくれるだろう。もっとも法廷で争っても、君が勝訴する確率は万に一つもないがね」

「……」

「君がサインしないなら、次はヤン・スナイデルを呼ぼう。友だち思いの好青年だ、君が負うべき咎も一緒に背負ってくれるだろう。その次はクリスティアンとイグナスだ。その中の一人ぐらい、自分たちがどう振る舞うべきか、分別のある者がいるだろうよ」

「……俺がサインすれば、本当に不問にするんだな」

「我々だって悪人じゃない。君たちのように若くて優秀な人材をどうして社会的に抹殺したりするかね。素直に盗用を認め、示談に応じてくれたら、決して悪いようにはしない。ほら、この箇所を読んでごらん。君が示談に応じれば、我々もこれ以上は追及しないと明言しているだろう」

ローゼンブルフはペンを差し出した。

一瞬、彼の脳裏にヤンの顔が浮かび、今、この場で電話して、皆で徹底的に黒白を争うべきかと考えた。

だが、万一話がこじれて、デ・フルネを巻き込めば、それこそ取り返しがつかない。たとえ『緑の堤防』は取り下げても、デ・フルネが残れば、これからも復興に打ち込める。自分一人の咎で済むなら易いものだ。

彼は黙ってペンを受け取ると、文書の末尾に『Walther Lacroix』とペンを走らせた。

「ご理解いただけて嬉しいよ」

ローゼンブルフは署名入りの示談書を取り上げると、ティム・ヨンクに手渡した。

「今後は付け焼き刃を振りかざして、畑違いの問題に首を突っ込まないことだ。だいたい資格もキャリアもない君に出来るわけがないんだよ。プレゼンテーションが大衆に支持されたからといって、自分に特別な才能があるなどと自惚れないことだ」

彼は失意のどん底でヤンのアパートに帰り着くと、仕事から戻って来たヤンに事の顛末を話した。

ヤンは示談書を一目見るなり、テーブルに叩き付け、

「バカ! なんでこんなものにサインした! みすみす盗用を認めるような真似をして、お前、自分が何をしたか分かってるのか!」

彼には返す言葉もない。

「だいたい、こんなむちゃくちゃな話があるか。当事者に何の予告もなく、単独で本社に呼び出して、その日のうちに示談書にサインさせるなんて、おかしいと思わなかったのか。なぜ、そんなものに同意した? なぜ一言、オレ相談しなかった?」

「……」

「それとも本当に盗用したのか?」

「どういう意味だよ」

「ロイヤルボーデン社の広告用パースを3DキャプチャーでGeoCADに取り込んだのかと聞いているんだ」

「そんなこと、する訳がない」

「だったら、何故こんなものにサインしたんだ。身に覚えの無いことなら、徹底的に争えばいいことだろう」

「だから、サインしなければ、俺たちを告訴すると……」

「そんなもの、脅しに決まってるじゃないか。脅して示談を強要したなら、そっちの方がよっぽど悪質だぞ」

彼は再び押し黙り、ヤンは苛々と膝を揺すった。

「ひとつだけ正直に言えよ。どうやってGeoCADの使い方を覚えたんだ」

「なんだって?」

「俺も前から不思議だった。突然『緑の堤防』のパースを見せて、『俺がGeoCADで描いた』って。土木もCGも勉強したことがないのに、どうやって描いたのか、クリスティアンもイグナスも奇異に感じてた。あそこまできちんとしたパースを描こうと思ったら、一、二ヶ月、いじったぐらいでは到底無理だ」

「何が言いたいんだよ」

「本当に自分で描いたのか?」

「いい加減にしろよ! 君まで疑うのか!」

「だって、疑われても不思議じゃないだろう。何年もGeoCADを使い込んでるならともかく、突然、俺が描いたと言われて、ああそうですかと信じる人間がどこにいる? それでも『お前が描いた』というから、みな信じたんだ」

彼は愕然とした。今までそんな風に俺を見ていたのか?

かといって『リング』のことを打ち明ける気にもなれない。次はそれを見せろと言うだろう。そして、どうなる? 「お前、こんなことやってたのか」と皆で笑いものにされるのがオチだ。父との大切な思い出を笑いで汚されたくない。

それで二枚貝のように押し黙っていると、ヤンが苦渋の表情で言った。

「オレだって信じようとした。どうにかして短期間で使い方を覚えたのだろうと。だが、示談書にサインしたと聞けば、ああ、やっぱりコピーしたのかと疑ってしまう。オレとお前で済むことなら一緒に泥も被ってやるが、オレにはデ・フルネがある。今は単なる学生ボランティアじゃない、企業や自治体の支援も受けた法人格の団体だ。オレだけじゃない。クリスティアンもイグナスも役員として名を連ね、厳しい監査を受けている。何千、何万という無償の行為に応える為にも、社会的信用にヒビを入れるわけには絶対にいかない。せめて一言相談してくれたら、手の打ちようもあっただろうが、示談書にサインしてしまった以上、どうしようもない。ウェブサイトに掲載する謝罪文はオレが考える。お前はとにかくフランスに帰れ」

ヤンの言葉は楔のように胸に突き刺さった。

彼は黙って席を立つと、その日のうちに荷物をまとめて、ヤンのアパートを出た。

だが、それだけで終わらない。

再建コンペのオフィシャルサイトには、よく目立つ赤い字で『第二位に選出された『緑の堤防』はロイヤルボーデン社の意匠を盗用した為、入賞リストから抹消されました』と明記され、自身のメールボックスには「偽善者」「キャベツ野郎、ドイツに帰れ」「二度とフェールダムに戻ってくるな」という罵詈雑言が大量に送りつけられた。

自分を信じてくれた人たちを失望させ、たった一つの心の拠り所も失い、これから何を支えに生きていけばいいのか分からない。

彼は『緑の堤防』も『水を治めるアーカイブ』もデ・フルネのオフィシャルサイトから引き上げると、南に向かう電車に飛び乗った。

前のエピソード次のエピソード
logo
リファレンス
人工地盤『ジオグリーン』 ~インプラント工法と地盤造成の技術
『緑の堤防』の原案となった人工地盤「エコグラウンド」とインプラント工法について紹介しています。

『意匠とデザイン』に関連する記事

この記事を書いた人

石田朋子

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。科学番組の全盛期に子供時代を過ごした影響でSFを書いています。モットーは『Newtonから月刊ムー』まで。文芸とサイエンスを融合した新しいスタイルの作品を手掛けています。

運命はただ試すだけ

海洋SF MORGENROOD 《曙光》

上・下巻ともKindle Unlimitedにて配信中。
メンバーなら課金ゼロで読み放題です。
購入された方には読みやすいPDF版を無償で差し上げています。お気軽にチェックして下さい。