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海のように深く静かに沈潜=内省する

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『沈潜』こそ人生の処方箋

恋人リズとの些細な行き違いから感情を爆発させ、恋人も、仕事も、信用も、何もかも失った主人公が、ようやく我に返り、ポルトフィーノと呼ばれる断崖の縁で過去を顧みる場面。

彼もこの海と同じだ。

全てが止まったように見えるが、心の中では生まれたり、悟ったり、日一日と変わりつつある。

どん底に落ちたというのに、目の前は不思議なほど清明だ。

喩えるなら、がむしゃらに突っ走っていたレーシングカーが壁に激突し、ようやく我に返ったような気分だ。

その代償は大きいが、今こそ本当の意味で立ち止まり、謙虚に内省できるような気がする。

海洋小説 《曙光》 MORGENROOD 第六章・断崖より

物事が上手く行かない時ほど、人はがむしゃらに突き進み、力尽くで現状を変えようとしますが、車が故障したまま猛進しても、何も変わりません。

かえって、車を駄目にして、自分も、周りも、いっそう傷つけるだけです。

そんな時は、立ち止まり、振り返りしながら、自分自身のことを客観的に見直してみる。

哲学的には『沈潜』と言います。

潜水艇の如く、己の奥深くまで潜って、自分の至らぬ点や間違いについて、じっくり考えることです。

昨今は、ネットで気軽に愚痴をこぼしたり、他人に助言を求めたりできるせいか、「一人でじっくり考える」ということが苦手な人も多いですが、周りに自分の辛いことを撒き散らして、同意や共感を求めても、根本的な解決には至らないこともたくさんあります。

「私の車、故障してるけど、私らしくていいですよね。故障した車も有りですよね?」

「その通り。故障した車でもいいんだよ!」

「そっかー。じゃあ、故障したままで、いいや」

そして、車が故障したまま、公道を走ればどうなるでしょうか。

途中でエンストを起こして、大勢に迷惑をかけるかもしれない。

ハンドル操作に誤って、誰かを跳ね飛ばすかもしれない。

「故障した私らしさ」では通用しないこともあります。

ところが、手軽に理解や共感を得られると、そこで考えることを止めてしまいます。

もしかしたら、誤りを正す機会になったかもしれないのに、そのチャンスを潰してしまうんですね。

一人でじっと考えるのは辛いものですが、そういう時間が持てるか否かで、後々のことも変わってきます。

沈潜は、人を鍛え、本物の光明に導くものです。

『沈潜』とは何か

日本語には『沈潜』という趣のある言葉があります。

ちんせん【沈潜】
①水底深く沈むこと。
②深く没頭すること。「研究に―する」
[岩波 国語辞典 第七版]

私は、この『沈潜』という言葉が使いたくて、主人公の職業を「潜水艇のパイロット」に据えたほど。

もちろん、他にも理由はありますが、キャラクターの造形に大きな影響を及ぼしたのは確かです。

ところで、現代人に欠けているのは「話し合い」より「黙りあい」にも書いているように、寺山修司はこんな言葉を残しています。

私は、現代人が失いかけているのは「話しあい」などではなくて、むしろ「黙りあい」だと思っている。

東京零年

「オレにも一言、言わせろ」の時代だからこそ、「あえて口にしない」。

お互いの意見や気持ちが分かりすぎると、かえってやりにくくなる事もあるからです。

また、口に出すことで、自分ではすっかり解決したような気分になることもあるでしょう。(かえって聞かされた相手の方が苦しむこともある)

何でも意思表示したり、相手に伝えればいいというものでもなく、時には沈黙が複雑な感情を解きほぐし、過剰な興奮を鎮める作用もあります。

また、想像の及ばぬ部分を残しておくことで、かえって長続きする友情もあるのではないでしょうか。

記事にも書いているように、一般に、人は喋ったり、書いたりしている間、深くは考えないものです。

人と話したり、思ったことを言葉に綴ることで、気持ちや思考の整理にはなるかもしれませんが、自分の手持ちの駒の中でぐるぐる回っているだけ、自我の領域から解脱することはありません。

人と話すことで、何か閃いたとしても、それが明確な形をとるのは、友だちと別れて、一人になった時ではないでしょうか。

主人公のヴァルター・フォーゲルは、今風に言えば「コミュ障」、人とお喋りしたり、心を開くのが苦手です。誰とも信頼関係を築けないのではなく、そこに辿り着く前に、自分を見せることを躊躇し、相手が近寄ってきたら、負担に感じて逃げ出す。人間嫌いというよりは、自分を知られるのが恥ずかしいのです。

そんな彼の得意技は『沈潜』。

海洋情報ネットワークで、海洋情報部のメイファン女史にも次のように指摘されます。

「そうね――手伝って欲しいのはやまやまだけど、今は自分の問題に専念なさいな。下手に動くより、今は沈潜した方がいいように思うわ」
「沈潜」
「そう。あなたの得意技でしょう」

文字通り、自分の中に深く沈んで(潜って)、黙考する。

周囲の声も、損得も、執着も遮って、ひたすら己の中に埋没し、「何が誤りで、何が正しいのか。自分はどうしたいのか、何をどうすべきか」を探し求める。

その過程に、自省があり、気付きがあり、新しい道がある。

やみくもに動き回っても、他人の助言に答えを探しても、本当に大事なことは見えてこないものです。

今は一人で黙考することに耐えられず、すぐにつぶやいたり、訴えたり。

それで賛同が得られたら、そこで満足して、そこから先は考えないような風潮もありますが、それは一時の慰めや励ましになっても、根本的な解決にはならないでしょう。

『沈潜』は誰にとっても辛いものです。

沈潜している間は、誰にも理解されないし、誰も正しい答えなど教えてくれません。

じっと一人で考えるより、書いたり、話したりしている方が生産的に感じられるでしょう。

しかし、一人で考えている間にも、何かは確実に育まれています。

何故なら、自分と向かい合う勇気と孤独に耐える強さがなければ、到底沈潜はできないからです。

ある意味、沈潜そのものが、心の目を開かせ、真の強さを育むといえるのではないでしょうか。

『沈潜』に相当する英語もいろいろありますが(contemplation、recollection、など)、この場合、deep thought という表現が一番しっくりきます。

わーっと誰かに話したい時、あるいは発信したい時、一度、立ち止まって、沈潜してはいかがでしょう。

もしかしたら、本当の答えは、自分自身が一番よく知っているかもしれません。

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海のように、深く静かに沈潜=内省する

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この記事を書いた人

家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。科学番組の全盛期に子供時代を過ごした影響でSFを書いています。モットーは『Newtonから月刊ムー』まで。かつて宇宙を夢見た少女は深海に魅せられて海洋科学の転向しました。今でもハヤブサより、しんかい派です。

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