第二章 採鉱プラットフォーム ~ミッション開始 (10)

プロの矜持とテスト潜航

⑮ 水深3000メートルでの揚鉱管の接続ミッションを前に、ヴァルターはプラットフォーム・マネージャーのダグにテスト潜航を申し出る。
だがダグは高額の経費がかかることを理由に却下。「アシスタントの大学生にやってもらえ」とけしかける。
ヴァルターは深海でのトラブルに対処できるのは自分しかないと強調し、テスト潜航の必要性を説く。
「それなら経費を自分で捻出しろ」とダグは売り言葉に買い言葉で返す。

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その日の夕方、ヴァルターは予算申請書を片手に五階のマネージャー室を訪れた。

木目の合板ドアをノックすると、室内にはダグラス・アークロイドが一人で居た。マッコウクジラのような巨漢がすっぽり収まる特注のスチール・メッシュの回転椅子に腰掛け、これまた特注サイズの事務用机に向かいながら、PCのボイスチャットで楽しそうにお喋りしている。

室内にもかかわらず黒いサングラスをかけ、貧乏揺すりしながらペラペラ喋りに興じる姿は、とても世界の構図を変える採鉱プラットフォームのマネージャーには見えない。彼が部屋の隅に立っているにもかかわらず、ダグはまるで視界に入らないようにお喋りを続け、五分も経つと、彼もさすがにバカらしくなり、これみよがしに溜め息をついた。

するとダグはちらと彼を一瞥し、「ダッチ野郎がな」とわざと彼にも聞こえるように言った。

彼は適当に無視して室内を見回すと、壁にたくさんの写真が飾られているのに気が付いた。

銀のメタルフレームに一枚一枚丁寧に収められた写真は、いずれも開発過程の苦労と手応えを物語るような古びたスナップだ。

最初の写真の日付は、一七二年二月月十日。旧式の海洋調査船の甲板で、スタッフ全員で記念撮影したものだ。彼らの足元にはコアサンプリングに成功した海底堆積物や海台クラストの塊が幾つも置かれている。真ん中に立っている、ころっとしたのがアル・マクダエルだ。タヌキのような面立ちは同じだが、顔には皺一つなく、髪も黒々として、全身に鋭気がみなぎっている。この時、アル・マクダエルは三十二歳。今の自分と二歳しか違わない。

次の写真は、一七五年十一月一日。海沿いの小さな工場で撮影したもので、採鉱システム開発の初期メンバーのグループが映っている。彼らの背後には集鉱機や水中ポンプのプロトタイプが置かれ、周囲にもスチール建材や工作機械が積み上げられている。大半は見知らぬ顔だが、真ん中に映っている二十代前半の中肉中背の青年二人がダグとガーフィールドだろうか。現在とはまったく見た目が違うが、クジラのようにきょろりとした黒い瞳に面影がある。その隣には、バスケットボール選手のように背の高い十代のマードックも映っている。

他にも、海洋調査船のラボラトリで試験官を振りながら照れくさそうに笑う女性研究員。コンピュータ・シミュレーション・システムの前でガッツポーズを決める若いITスタッフ。バーベキューを囲む海岸キャンプの一コマなど、新旧スタッフがそれぞれの持ち場でゴールを目指し、交流を楽しむ様子がカメラに収められている。

採鉱プラットフォームはアル・マクダエルの執念の結晶だが、それに携わった人々にとっても人生の集積そのものだ。初期の開発に携わった高齢の技術者の中には、システムの完成を見る事なく逝去した人もあるだろう。ダグやガーフィールド、マードックの父親世代だ。

彼が写真に見入っていると、チャットを終えたダグが「いい写真だろう」と声をかけた。

「もうすぐそこの空いたフレームに本採鉱の記念写真が入る。それで完成だ」

見れば、並びの最後に空のフォトフレームが掛かっている。接続ミッションが完了し、いよいよ本稼働すれば、スタッフ全員で記念写真でも撮るのだろう。

「三十年の集大成だな。そりゃあ、おめでとう」

「だが、お前が失敗すれば、それどころではなくなる。お前、機械操作は間違いなくできるんだろうな?」

ダグがぎょろりと睨むと、彼は「ああ」と生返事した。

「『ああ』じゃねえよ。100パーセント、間違いなく出来るのか、と聞いているんだ」

「そのことだが、テスト潜航させてもらえないだろうか」

「テスト潜航?」

「実際に採鉱区に破砕機と集鉱機を降ろして、状態を確認する」

「そんなものは必要ない。三度のテスト採鉱に成功して、みな既にスタンバイに入っている。テスト潜航する暇も無ければ予算もない」

「だが、実際に採鉱区に重機を降ろして、どんな状態になるか見たこともないのに、どうして必要ないと言い切れるんだ」

「重機の性能やコンピュータ・シミュレーションを鑑みて全員で決めたことだ。オペレーターも何年も特別な訓練を積んでいる。問題はない」

「それも理解している。だが、テストした場所と採鉱区の地形の違いをじっくり見て欲しい。十度近く傾斜した場所で、前回と同じようにスムーズに接続できるのか」

すると、ダグはじいっと彼の顔を見つめ、

「お前、本当はビビってんだろ? 水深3000メートルで、今まで見たことも聞いたこともない揚鉱管を繋げと言われて、小便ちびりそうになってんじゃねえか」

「怖い、怖くないの話じゃない」

「自信が無いなら、エイドリアンに替わってもらえ。頭のいい大学生だ。ここの事もよく知ってる。土壇場で失敗されて、三十年の努力を水の泡にされるぐらいなら、最初からエイドリアンに任せた方が数倍マシだ」

「だが、その大学生だって、深海で思いもよらぬ状況に陥ったら、冷静に対処できるわけじゃないだろう。そいつはプロテウスの隅から隅まで知り尽くしてるのか? ボルトを見ただけで、どの部位の、どんなシステムに組み込まれているか、正確に言い当てることができるのか。俺なら出来る。電気系統のトラブルも、油圧の故障も、ナビゲーションとの行き違いにも対処する自信がある。俺はプロのパイロットなんだよ。大学生のアルバイトとは訳が違う。パイプだけ繋いで済ますつもりはないし、学術的な目的もある。申請書にも書いてる通り、採鉱区の状態を目視するのが一番の動機だ」

「現場が見たいなら、無人機の水中カメラで十分だ」

「十分じゃないから、必要性を説いてるんだよ」

「どこがどう物足りないんだ」

「カメラの視野はどうしても限られる。解析能力だって未だ人間の目には及ばない。微妙な色の違いや形状の変化、細かな粒子の動きなんかは、現場に行って直接見てみないと分からない。何かに気付いた時、すぐにサンプルを採ったり、録画したり、迅速に対応できるのも大きなメリットの一つだ。だから機械操作のテストを兼ねて、一度、自分で見てみたいと言ってるんだよ」

「お前の好奇心の為に300万エルク?」

「好奇心じゃない。確認だ。事前にどれほど調査を重ねて、精密なデータを揃えても、いざ破砕機や集鉱機を動かして、海山表面の形状が変われば、思わぬトラブルに直面することもある。そういう不測の事態に供えて、最後にもう一度、採鉱区の様子を間近で目視したいと言ってるんだよ」

「お前、一回の潜航にかかる費用と人手が分かってるのか。プロテウスの運航スタッフは、みなノボロスキ社から呼んでいる。整備工、クレーンのオペレーター、ナビゲーター、ダイバー、通常で十数名、時には二十名超えだ。彼らの送迎費、滞在費、時給、運営コストだけでもバカにならない。それに金だけじゃない、彼らが宿泊すれば居室の準備もいるし、食事だって、その分余計に食材を手配しなければならない。何日も前から各部署でスケジュールを組んで、それに合わせて業務も調整するんだ。そして、十月十五日まで、みな決められたスケジュールで動いている。よほどの緊急事態でない限り、大きな変更は加えられない」

「だが、本番で何かあったら、そんな事は言っておれなくなる」

「じゃあ、お前がやらなきゃいい。接続ミッションは無人機でも十分対応できる。大体、プロテウスのパイロットなんか必要ねえんだよ。ミッションが終われば、プロテウスもノボロスキ社に払い下げるし、今後の深海調査はノボロスキ社が主導でやる。MIGは採鉱事業に徹して、今までとは方針も異なるんだ。そんなにプロテウスに乗りたきゃ、ノボロスキ社に鞍替えしな。あそこの社長なら喜んで雇ってくれるさ、特にお前みたいな単細胞のバカは」

「どういう意味だよ」

「言った通りだ、テスト潜航は必要ない。誰に入れ知恵されたか知らんが、出ないものは出ないんだ。お前に入れ知恵した奴にもよく言っておけ」

「ここに来たのは俺の意思だ。誰にも入れ知恵などされてない」

「じゃあ、なんで来たんだ」

「プラットフォームのマネージャーだからだ」

「顔に似合わず、ちゃんとわきまえてるじゃねえか」

「俺にも職務への敬意はある。ただし、あんたに尊敬すべき点があるかどうかは別問題だがね」

「なんだと」

「いずれ、このプラットフォームは売り上げ第一の工場になる。早い話、テスト採鉱に成功した時点で、あんたの三十年は終わるんだ。これから十年、二十年、先を見据えて頭を切り換えないと、今に評価も下がって、真っ先にリストラの対象になるぞ」

「オレはな、お前がおしめを付けてた頃から、ここで身体を張って働いてきたんだ。お前なんかより、ずっと物事を知ってるし、理事長の考えだって理解してる。お前に進言してもらわなくても、皆、ちゃんとやっていく」

「分からん人だね、あんたも。理事長がいかに人間的に立派でも、経営者は経営者だ。最後には人情より利益を取る。重用されたからといって油断していたら痛い目に遭うぞ」

「お前、死に損ないのくせに、ずいぶん生意気な口をきくな」

「俺は本当のことを言ってるんだよ。頼むから、一度考えてくれないか。大きな負担なのは百も承知だ」

だが、ダグは彼に予算申請書を突き返し、

「そんなにテスト潜航したけりゃ、まずは300万エルクの経費を自分で捻出しろ。そうしたら考えてやる」

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この記事を書いた人

石田朋子

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。科学番組の全盛期に子供時代を過ごした影響でSFを書いています。モットーは『Newtonから月刊ムー』まで。文芸とサイエンスを融合した新しいスタイルの作品を手掛けています。

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