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心の復興と町の再建 ~1953年 オランダの北海大洪水

迷走する再建計画とアイデアコンペ
海と恋の物語
ヴァルターは洪水で壊滅した故郷の惨状を知り、復興ボランティアに参加するが、被害があまりに広範な為、復興作業も遅々として進まない。地元経済界は被災地一帯をモダンな臨海リゾートに再建する計画を打ち出し、元住民らは猛反発する。
目次

【コラム】 心の復興と町の再建

壊滅した町をどう再建するか――

元通りに戻すのか、それとも新たな施設を建て直して、町を一から作り直すのか。

それぞれにメリットがあり、デメリットがあります。

しかし、一番重要なのは、元住民の意向でしょう。

それも皆がちりじりになってしまえば、そう簡単に一つにまとめることはできません。

本作では、そうした混乱に乗じて、壊滅した地域をモダンなリゾート施設に作り替え、新たな資本を呼び込もうとする自治体(地元経済界)と、さらなる名声を得ようとする建築家の思惑を描いています。

それはそれで地域の活性化に繋がるかもしれませんが、ウォータースポーツのメッカとして愛された干拓地に、モダンなリゾート施設を建設するなど、到底受け入れられるものではありません。元通りの暮らしを望む元住民との間に大きな齟齬が生じます。

町の再建とは、元住民の気持ちが一致してはじめて成し遂げられるのかもしれません。

【小説】  進まぬ復興と地元経済界の思惑

13歳の時に経験した大洪水のトラウマから、壊滅した故郷に帰ることもできず、ずっと目を背けてきたヴァルターだったが、「人間とは乗り越えられるものだよ」と髭の教授に励まされ、5年ぶりに故郷の土を踏む。

だが、そこで目にしたのは、無残に流された我が家と泥土にまみれた干拓地だった。

ヴァルターは幼馴染みで、復興ボランティアグループのリーダーであるヤンに伴われ、最後まで堤防を守ろうとした土木技師の父が命を落とした締切堤防を訪れる。

父の眠る海を見ながら、父の信念と生き様を改めて想う。

関連のあるエピソード → 
・ 建築家の詭弁と住民無視の再建計画 一人の意思もった人間として抗う

このパートは『第一章・運命と意思』の抜粋です。作品詳細はこちら

次の日、ヴァルターとヤンはデンボンメルの植樹を半時間ほど見て回った後、湖岸を北に向かい、父の最後の場所となった締切堤防を訪れた。

あれから六年。

今も何の情報もなく、遺体も見つかっていない。

せめて、どこで、どんな最後を迎えたのか、痛みはなかったか、死は安らかにやってきたか、最期の様子を知りたいと思うが、目撃者もなければ、物的な手掛かりもなく、今も悲しみは計り知れない。

やがて目の前に全長三キロメートル、幅一七〇メートルの締切堤防が迫ると、彼は足を止め、死の影に胸を詰まらせた。

「見たくないなら、見なくていいんだぞ」

だが、彼は首を振り、堤防の端から端まで視線を廻らせた。

洪水の後、大至急で修復されたコンクリートダムは、子供の頃の記憶と寸分違わない。築堤に沿って敷かれた二車線の湾岸道路は、以前と同じように南北を結ぶ交通路の役目を果たし、たくさんの車が南北に行き来している。その片側に作られた自転車道路ではロードバイクにまたがった若者がサイクリングを楽しみ、堤防天端の遊歩道や砂浜にも散歩や凧揚げに興じる人々の姿が戻っている。

だが、よく見ると、以前は水平だった堤体が真ん中辺りで不自然に盛り上がり、周りとは質の異なるコンクリート材に置き換わっている。その大きさを見るにつけ、あの夜の高潮の凄まじさが胸に迫った。

「あの大洪水で十五人が死亡、もしくは行方不明になった。そのうち十一人が土木作業員、遺体が見つかったのは四人だけだ。『たったの十五人』という人もあるが、死者の数に多いも少ないもない。家も田畑も無くした者にとっては死んだも同然だ」

ヤンは憤懣やるかたないように言った。

それから二人は歩道橋を渡り、堤防の内側を走る二車線の湾岸道路を越えて、堤防天端の遊歩道のベンチに腰を下ろした。

こうしていると、あんな大災害があったとは思えないほど静かだ。海は凪ぎ、空は天に突き抜けるほど青く澄みわたっている。

「半年前、デ・フルネの活動を通じて、最後まで堤防に残っていた作業員の話を聞いた。高潮が足元まで迫り、さながら地獄絵図だったそうだ。それでも全員待避の指示が出るまで、誰一人持ち場を離れなかった。全員一丸となって堤防を守ろうとしたんだ。あと五時間、いや四時間でも持ちこたえれば、夜も明けて、雨も収まったのに、不運だったいう人もある。だが、決壊は起こるべくして起こったというべきだ。あの時、お前のお父さんが進言したように補強工事が行われていたら、こんな大惨事にはならなかったかもしれない」

フェールダムの締切堤防は、四世紀前、国家的な治水事業『第一次デルタ計画』の一環として建設された。基底部をケーソンで固定し、堤防の両法面にはアスファルト舗装やハニカム構造のコンクリートブロック材を施して防潮機能を強化した、ネーデルラントでも堅固で美しい堤防の一つだ。

この四世紀の間に何度も補修工事が行われ、舗装のひび割れやブロックのずれなど、小さな損傷は修復されてきたが、肝心な計画高水位や計画堤防高の見直しは一向に進んでいなかったという。計画高水位とは、数百年に一度の大雨などを想定して求められた河川の最高水位であり、これに余裕を持たせて必要な堤防の高さを算出したのが計画堤防高である。

だが、どれだけ精密なデータをかき集め、高度な計算を繰り返しても、数百年先の未来まで絶対安全な数値を求めることはできない。
また、気象、河川全体の状況、構造物の品質等によっても安全性は大きく左右される。

その技術検証に取り組んできたのが、父も在籍したフェールダムの治水研究会だ。

治水研究会は何度も自治体に掛け合い、計画高水位や計画堤防高の見直しや抜本的な補強対策を訴えてきたが、予算やその他の都合で毎年先送りされ、洪水の前年にはフェールダム東側の可動式大防潮水門の整備が優先された。その経緯はどこまでも不公平、かつ不透明で、父が何ヶ月も憤っていた所以である。

「治水研究会と自治体の間にどんなやり取りがあったかは知らないが、強い権限をもつ役員に一蹴されたのは確かだ。オレも治水や自治体の関係者を通していろんな話を聞いたが、可動式大防潮水門をめぐって相当揉めたようだ」

「そのことなら、俺もよく記憶している。洪水の前年、父にしては珍しくカッカしていた。子供心にも、その無念が感じ取れるくらいに」

「お父さんのことは本当に気の毒だった。サッカーで世話になった者はみな悲しんでいるよ。あんな善い人が水害で命を落とすなど、神も正義もあったもんじゃないと。我先に逃げ出した人も多かったのに」

「元住民の大半が生き残っているのに、いっこうに復興が進まないのは何故だ?」

「お金の問題もあるし、社会的合意が得られない部分もある。意見が真っ二つに割れてるんだ。昔のままの干拓地を再建したい声と、水没した一帯を埋め立てて新しい臨海都市を築く案と」

「埋め立て?」

「そうだ。この辺りは塩害がひどくて、昔のような豊かな農地を再現するには何十年とかかる。以前はサマーシーズンになると、国内外から何十万という観光客が訪れ、海水浴やカイトサーフィンを楽しんだが、フェールダムの宿泊施設や飲食店は壊滅して再開の目処もつかないし、湖畔のマリーナや小売店も観光客が減少して、どこも悲鳴を上げている。だから、何十年もかけて農地を再生するような、まどろっこしい方法ではなく、一気に町を作り替え、モダンなリゾートを作るのが地元政財界の希望なんだよ。そうすれば観光客も呼び戻せるし、自治体の産業も立て直せる」

「馬鹿馬鹿しい。治水に失敗したエリアに商業施設を建て直して、何の得になるんだ。再び水害で往生するのが目に見えてるじゃないか」

「だから元住民や地元民は強硬に反対してるよ。フェールダムに必要なのは、より強固な堤防と護岸対策であってリゾート施設じゃない。あれは数百年後に一度の災害だからといって、次の大洪水も数百年後とは限らないからな。かといって、自治体に十分な復興予算はないし、今更壊滅した故郷に戻ってくる人もない。それで、いつも話が二転、三転して、いっこうに前に進まないんだ。正直、フェールダムは見捨てられたようなものだ。農地跡ぐらいにしか思われてない。どうせ住民の数より牛の数の方が多かった」

彼は父の眠る海を見つめ、(父さん、さぞかし悔しかっただろう)と唇を噛んだ。あれほど真摯に干拓地の未来を考え、自治体にも粘り強く働きかけてきたにもかかわらず、願いは通じなかった。そして、あの晩、最後まで堤防に残っていたのも父だ。自治体や治水局の役員ではない。

怒りに燃える目で父の死に場所を見つめていると、

「お前、大学を卒業したら帰って来いよ」

ヤンがぽつりと言った。

「お前ならすぐに仕事も見つかるだろう。帰郷すれば、復興ボランティアも一緒にできる。お前なら大歓迎だ」

「そうしたいが、俺の将来は既にプロテウスに繋がれている。復興に尽くしたい気持ちは本物だが、海洋調査の夢も諦めたくはない。仕事は初志貫徹するよ。海洋科学に関してはフランスがトップクラスだから。でないと、どっち付かずで終わってしまう」

「そうだな」

「その代わり、これから度々帰郷するよ。俺に出来ることがあれば何でも言ってくれ」

それから四日間、ファンデルフェールのヤンのアパートで過ごし、復興ボランティアを手伝った。今はまだ荒れ放題だが、仲間が植えた苗木も野菜種もすくすく育っている。何年、何十年の歳月と共に、いつかきっとフェールダムの緑も蘇るだろう。

「創造的であることが、あらゆる苦悩から我々を救ってくれる」という髭の教授の言葉を噛みしめながら、彼は故郷を後にした。
暗く沈んだ水の底にやっと光が差したような気分だった。

1953年 オランダの北海大洪水

国土の大半が海抜0以下の低地で知られるオランダは、度々、大洪水に見舞われ、何千という人々が命を落としてきました。

1953年の北海大洪水では、非常に発達した冬の低気圧と大潮の時期が重なった為に、北海沿岸を未曾有の高潮と暴風波浪が襲い、2551名(公式発表)の沿海の市民が命を落とし、多くの人が住まいを失う大災害となりました。

この水害を教訓に、オランダは国家を挙げて治水を強化する第一次デルタ計画を打ち立て、南部ゼーラント州の三角州(デルタ)地帯を中心に、堤防や水門などの治水施設を増強しました。

現在は、地球温暖化とそれに伴う海面上昇に備えて、いっそうの治水強化に取り組んでいます。

キンデルダイク博物館の説明では、もしオランダ中の治水設備が停止したら、48時間以内に国土の三分の一が冠水すると言われています。

オランダの国土がどれくらい平たいか(低地)といえば、午前中(満潮から数時間)、すぐ側まで迫っていた波打ち際が……

どんどん水際が遠ざかる

干潮の頃には、海水がほとんど引いてしまって、波打ち際も見えません。
場所によって、その差は数百メートルに及びます。

それだけ国土が平らで、海面との高低差がほぼゼロに等しい、ということです。

日本の海岸の場合、どこも数十センチから数メートルの高低差がありますから、海面が数十センチ上昇したぐらいで、海水がどっと町中に押し寄せることはありません。

でも、オランダの場合、数十センチの海面上昇でも命取りになります。
水を遮る段差もなければ、丘陵もないからです。

それが上流から流れ込むライン川の水と相成って、文字通り、国土が水浸しになるわけですね。

水際が遠ざかる砂浜

オランダの水との闘いは、干拓地(ポルダー)、風車(排水ポンプ)、運河(水路)、ハイテク堤防といった様々な文化遺産を生み出してきました。

God schiep de Aarde, maar de Nederlanders schiepen Nederland
世界は神が創り給うたが、ネーデルラントはネーデルラント人が作った

と言われる所以です。

治水は、日本でも特に必要とされる技術の一つのです。

若い方はぜひ、土木工学を目指して下さい。
自らの手で国土を創出する手応えがありますよ。

Luctor et Emergo(私は闘い、水底から姿を現す)

主人公の心の指針であり、ゼーラント州の州章に刻まれた言葉です。

Luctor は、英語で、Struglle. もがく、格闘、努力、苦心、といった意味があります。

et は、and

Emergo は、emerge  <水中・暗闇などから>出てくる、現れるの意味です。また、<不景気・貧困・低い身分>などから抜け出す、頭角を現す、といった意味もあります。(リーダーズ英和辞典 第三版より)

幾度となく水害に見舞われ、その都度、立ち上がってきた、ゼーラント州民の心意気を表す、素晴らしい一文です。

Luctor et emergo

【リファレンス】 干拓と国土創出 ~水と共に生きる

オランダと言えば、風車の国。

「フランダースの犬」のイメージが大きいせいか、「風力を利用して小麦粉をねっている」みたいなイメージがありますが、オランダの風車の最大の意義は排水です。

その際、風車の力を二次的に利用して、農作業にも役立てているだけで、餅をついたり、小麦粉をこねる為に、風車を作ったのではありません(´。`)

こちらに、「低地(ネーデルラント)」と呼ばれるオランダの地理と、いかに水を治め、国土を創出してきたか(主に干拓地)、可愛いイラストで描いた動画があります。英語ですが、非常に分かりやすく、治水の原理が一目で分かると思います。

こうした治水の技術は、日本の将来にも非常に求められます。

ただでさえ若い人口が減っている上に、知識と技術を備えた人が無くなれば、水を治めることはおろか、インフラを再建することも、出来なくなります。

興味のある方は、是非、土木工学を目指して下さいね。

Kindle Unlimited (読み放題)

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この記事を書いた人

家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。科学番組の全盛期に子供時代を過ごした影響でSFを書いています。モットーは『Newtonから月刊ムー』まで。かつて宇宙を夢見た少女は深海に魅せられて海洋科学の転向しました。今でもハヤブサより、しんかい派です。

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