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若さゆえの無力感 ~いやいやでも働くうちに自分が何ものか思い出す

海と恋の物語
世界初となる海底鉱物資源の採鉱プラットフォームを訪れたヴァルターは、アル・マクダエルの熱意と気魄に圧倒され、逆に意気消沈する。そんな彼に、アルは産業発展の要は共存共栄の精神であることを説き、「いやいやでも海の仕事をするうちに自分が何ものかを思い出す」と励ます。
目次

【社会コラム】 事業の根幹は人間力

事業というと、アイデア、資本力、技術、PR力といった言葉が思い浮かびますが、それがどこからもたらされるかといえば、ずばり、人間です。
どれほど優れた設備や資本があっても、機械やお金、それ自体が、新しい事を思い付いたり、業務を遂行するわけではありませんから、それに携わる人間が駄目なら、事業全体が駄目になるのは自明の理なのです。

曙光の後半に「ボルトを締める人の手にも意思がある」と書いていますが、どれほど設計が素晴らしくても、工事に携わる人間に意欲も責任感もなければ手抜きにしかなりません。

それが分からない人が会社を傾け、欠陥製品を世に送り出し、多くの従業員を路頭に迷わせるのです。

【小説】 世界を変える技術と人間の可能性

人員整理で解雇になり、故郷にもいられなくなったヴァルターは、自暴自棄の気持ちからステラマリスを飛び出し、成り行きで採鉱プラットフォームの仕事を引き受ける。

洋々と採鉱プロジェクトに打ち込むアル・マクダエルに対して、最初はその欺瞞を看破するつもりでアステリアにやって来るが、逆に、洋上の採鉱プラットフォームの威容とスタッフの気魄に圧倒され、打ちひしがれる。
参照記事 → 今日の利益か、数億年後の生命の価値か ~海洋開発と自然保護について

自分の無力と卑小さに、いっそう落ち込むヴァルターに、アルは共存共栄の精神と人生のやり直しを説く。

その頃、アルは下層階の居室でオンライン会議を終えたばかりだ。アステリアに居る時はトリヴィアの重役と、トリヴィアに居る時はアステリアの重役と、毎日分刻みに会議や面談のスケジュールをこなし、その合間を縫って文書事務や勉強にも取り組む。我ながら、よくここまで身体が持ったものだと感心し、凝った首筋をぐるりと回す。

馴染みの女性乗務員が「紅茶でもお持ちしましょうか」と気遣ったが、アルは丁重に断ると、甲板に上がった。

船尾ではヴァルター・フォーゲルが甲板の手摺りに身をもたせかけ、陽の沈みかけた海の向こうをぼんやり眺めている。

背も高く、スポーツ選手のようにがっしりとして、仕事も私生活も充実して見えるが、その後ろ姿は、十代二十代の不安定な時期に人生の導き手を失った若者の空疎が感じられた。

アルの気配に気付くと、彼はゆっくり後ろを振り返ったが、すぐにまた視線をそらすと、決まり悪そうに俯いた。

アルは彼の隣に並ぶと、「いくら海に話しかけても、返事はあるまい」と静かな口調で言った。

「人間とは孤独なものだ。本当に知りたい答えを、誰かが教えてくれることなど滅多にない。たとえ今、お前の父親が生きていたとしても、答えられないことの方がきっと多いだろう。お前はもう幼子ではないし、父親とは違う人生を生きているからだ。それでも心の中に話しかける相手が居るのは良いことだ。神でも、死んだ父親でも、絶対的に信じられるものがあれば、人は限りなく強くなれる。誘惑に負けて、道を踏み外すこともない。だが、それも突き詰めれば、聞いているのは自分自身の声だ。別の言い方をすれば、お前の中にも『父なるもの』が存在するということだよ。海の彼方に探さずとも、お前は既に答えを知っている。それだけの知恵を父親が授けてくれた。ある意味、父親の人生を、お前自身がもう一度生き直しているようなものだ。思い出の声を手がかりに」

彼は不思議そうにアル・マクダエルの横顔を見つめた。今まで誰もこんな風に諭してくれたことはなかった。

「プラットフォームは気に入ったかね」

「現存する海上リグの中では抜きん出てると思う」

「どの点が?」

「基礎の構造物からして全く違う。建材はもちろん、防蝕や防錆塗料もステラマリスで目にしたものとは段違いだ。何か特別な技術でも?」

「防蝕塗料の技術はステラマリスの塗料・化成会社と共同で開発した。一部にニムロディウムの粉末を使っている。一昔前は非常に高価だったが、今は製錬技術も発達して、以前の半値で特殊塗料を製造できるようになった。もっとも、わしの手柄ではなく、わしの父の功績だがね。何十年も前、アステリアで橋梁や船舶などの海洋構造物が増築されることを見込んで、いち早くこの分野に取り組んだ。実用化するまで長く時間はかかったが、今では逆にステラマリスに技術や製品を輸出するまでになっている」

「それもこれも海底鉱物資源のため?」

「それもあるが、全てではない。産業全体を押し上げるためだ。アステリアで成功するには、自分一人が気炎を上げても続かない。全体に活気と技術がなければ、いずれ自分自身も澱んだ水の中で息絶える。では、どうするか? いろんな考え方があるが、まずは産業の基盤を強固なものにすることだ。自分も立ち、相手も立つ、共存共栄の考えだ。アステリアの場合、基礎となるのは海洋構造物だ。橋梁、船舶、浮体、護岸。それらが脆弱で、どうして企業が経営に集中できる? 丈夫なインフラが無ければ、どんな大企業も進出を躊躇するし、しょっちゅう修理が必要となれば、毎年錆止めを塗り直すだけで小さな会社は疲弊してしまう。五十年、百年と耐えうる社会の基盤があって初めて、人と資本が集まり、自らも立つことができる。いろんな会社が進出し、切磋琢磨すれば、自分の取り分は減るかもしれないが、市場に活気が生まれ、技術が高まれば、結局は長く続く。自分が儲けたければ、まずは相手から。己一人の利欲で大風呂敷を広げても、利口な経営者は寄りつかない。愚昧な強欲ばかりが集まれば、せっかくの漁場もあっという間に荒らされる。何かを成したければ、常に周囲を注意深く観察し、相手にも分け与えながら進むことだ。時間はかかっても、回り回って、最後には自分の懐に入ってくる。この数十年、MIGが行った投資や技術開発は、アステリアの海洋構造物を至る所で支えている。プラットフォームは生きた見本だ」
彼はじっと海の彼方を見据え、「あんた、本気なんだな」と呟いた。

「本気で世の中の流れを変えようとしてる」

「採鉱システムのことかね」

「アステリア全体だよ。まさか、ここまで進んでいるとは思わなかった」

するとアルは沿岸に立ち並ぶコンビナートやコンテナ積み下ろし機を指さし、

「あれは十年。あっちは二十年かかった。三十年前は何も無い砂利浜だったが、今はいっぱしの工業区だ。だが、全てわし一人でこしらえた訳ではない。重役が百人集まっても、消波ブロック一つ設置することは出来ない。資本も大事だが、実際にアイデアを形にするのは人だ。現場の人間を動かして初めて、設計以上のものが出来上がる。その為には、どうするか。お前なら分かるだろう」

「理屈は分かるが、現実には難しい。あんたには地位もあるし、資本もある。持たざる者の言うことを聞くほど、周囲はお人好しじゃない」

「じゃあ、『緑の堤防』は何だ。あれはまぐれか? 確かに、わしは物心ついた時からMIGを継承することが決まっていたし、お前の年にはインダストリアル社の役員を務めて、直属のスタッフも何十人といた。人生のスタートラインにおいて誰よりも恵まれていたのは確かだ。だが、わしが初めてアステリアに来た時――それもお前の年の頃だったが、ここには本当に漠々たる海しかなかった。工業港には小型ボートを係留する施設もなく、自分で杭を打つところから始めた。その後も決して順風満帆ではない。多額の損失を出して役員会で糾弾されたこともあれば、金策に行き詰まり、床に頭を擦りつけるようにして都合してもらったこともある。鉱業権の認可が下りず、何ヶ月も待たされた挙げ句、事業計画の見直しを迫られ、時間と金を無駄にしたことも一度や二度ではない。今、お前は完成されたものを目にして、自分の無力に打ちひしがれているが、どれほど優れた経営者でも、一日で砂浜に工場が建つなどあり得ない。誰もが試行錯誤を繰り返しながら知恵と力を身に付ける。本物の成功者ほど、事も無げにやってるように見えるだけだ」

「だが、何故そうまでアステリアにこだわる? まして海底鉱物資源の採掘なんて、ステラマリスの大企業でもやりたがらない」

「だが、そこに一点の可能性が見えれば、お前だってやらないか?」

「可能性?」

「お前だって、何かを変えられると思ったから、有名建築家を向こうに回して再建コンペで戦ったのだろう。大勢に訴えれば心が動き、流れが変わると信じたからだ」

「確かに」

「要は『今成すか、永遠に成さないか』の違いだ。この世に百パーセント完璧な事業などありはしない。だからといって、好条件が揃うのを待っていては、ホットドッグの屋台も引けない。目の前に解決すべき問題があり、それを可能にする一つの方策がある。そうと分かれば、自ら動く。それだけの話だよ。あとは何が何でもやり遂げるという強い意志が仲間を呼び、資金を捻出し、難所に活路を見出す。時には運が味方することもある。全ては長期戦だ。一年、二年で、結論が出るほど単純なものではない。お前の本当の誤りは、お前自身が諦めたことだ。たとえ『緑の堤防』が意匠の盗用に相当し、取り下げを余儀なくされたとしても、自身のアイデアを信じるなら、どんな形でも訴え続けただろう。仲間の怒りを買っても、陰ながら復興ボランティアを支えることも出来たはずだ。だが、お前は逃げ出した。その苦さがあるから、屁理屈ばかりこねて、自分は駄目だ、無力だと、落ち込むんじゃないかね」

「……」

「まあ、誰にでも失敗は付きものだ。わしでも判断を誤ることがある。ましてお前は若い。調子づいて、真理を悟ったような気分にもなれば、無力に打ちのめされることもあるだろう。だが、それが当たり前だ。最初から完成された人間などありはしない。今回はこのような顛末になったが、遠く離れた所でも、真面目にやっておれば、いつかは仲間の信用を取り戻し、名誉を回復する機会もあるだろう。これまでとは異なる経験を積んで、まったく新しい道も見えるかもしれない。今プラットフォームで働いている主要メンバーの多くは、幼少の頃、親の仕事でアステリアに来て、大人の苦労を横で見ながら育った。中には気難しい者もいるが、みな筋金入りだ。お前もいやいやでも海の仕事をするうちに、自分が何者かを思い出すだろう。だから、二度と自棄(やけ)を起こすな」

彼は再び海の向こうを見やり、アルもしばし黄昏の日に見入った。

夕陽は赤々と燃え、鮮烈な光を投げかけながら、水平線の彼方に沈もうとしている。だが、あれは海の向こうでは朝日になる。たとえ過去は変えられなくても、明日という日はいつでも新しい。意思がある限り、また作り出せるだろう。『よし、それならもう一度』と思える人生を。

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世界を変える技術と人間の可能性 産業発展と共存共栄の精神

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この記事を書いた人

家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。科学番組の全盛期に子供時代を過ごした影響でSFを書いています。モットーは『Newtonから月刊ムー』まで。かつて宇宙を夢見た少女は深海に魅せられて海洋科学の転向しました。今でもハヤブサより、しんかい派です。

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