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創造的であることが、あらゆる苦悩から我々を解き放ってくれる

海と恋の物語
大洪水から6年の歳月が経っても未だ悪夢と喪失感に苦しむヴァルターは同郷の大学教授の講演に足を運ぶ。「人間とは乗り越えられるものだよ」と髭の教授は言った。「創造的であることが、あらゆる苦悩から我々を救ってくれる。傷つき、苦しむ自分を恥じなくなった時、本当の意味で君は悲劇から自由になれる」と励まされ、壊滅した故郷と向き合う決意がつく。元ネタとなったンニーチェの【悦ばしき知識】の名言なども紹介。
目次

ニーチェの言葉より : 体得された自由の印は何か?

多くの人は、「今の自分が好きになれない」と悩んでいるものです。好きになれない原因は、「理想通りにならない」「欲しいものが手に入らない」「周りと比べて劣っている」といった不満や不安が根底にあります。それが、つのりつのって、怒りに移り変わると、やがて激しいルサンチマン(怨念)となり、自分も周りも苦しめるようになります。

こうした怨念を克服し、創造的に生きることを説いたのがニーチェです。

「創造的に生きる」とは、絵を描いたり、音楽を作ったりすることではありません。

無の平原から、意味のある何かを立ち上げることです。

より良く生きる為に、日々、考えること、実行すること、その全てが『創造』です。どんなに小さくても、昨日よりは今日、今日よりは明日、少しずつでも歩みを進め、善きものを積み上げることを創造的な生き方と言います。

それは一足飛びに人生を変えることはありませんが、怨念を洗い流し、精神をはるか高みへと連れていきます。

本作では、故郷を洪水で押し流され、堤防管理の土木技師だった父親まで失ったヴァルターが、いつまでもそのことを恨みに思い、自分も苦しみ、母も苦しめる過程を描いています。

だけども、18歳になり、ようやく故郷の惨状と向かい合う余裕をもった時、同郷の教授から「創造的に生きる」「もはや自分を恥じない」という言葉を教えられます。

長い間、水の底で藻掻いていた彼の心に希望の光を灯したのは、故郷で復興ボランティアに取り組む幼馴染みの姿でした。

本作でモチーフにしている『自分を恥じない』の出典は、ニーチェの『ニーチェ全集〈8〉悦ばしき知識 (ちくま学芸文庫)』です(記事後方を参照)。

体得された自由の印は何か? ――もはや自分自身に恥じないこと。

【小説の抜粋】 最高の美徳とは何か:もはや自分を恥じないこと

オランダ人のヴァルターは、土木技師の父と、エクス=アン=プロヴァンスの母と、フェールダムの干拓地で幸せに暮らしていたが、未曾有の大洪水により締切堤防は決壊し、堤防を守りに戻った父も高潮に呑まれて行方不明となる。

遺された母子は、フォンヴィエイユの港町で、身を寄せ合うようにして暮らしていたが、ついに母が病に倒れ、生活も立ち行かなくなる。

そんな母子に手を差し伸べたのは、かつての婚約者で、マルセイユの裕福な実業家、ジャン・ラクロワ氏だった。

アンヌは苦悶の末、ラクロワ氏の申し出を受け、心ならずも再婚することになる。

しかし、やり手の実業家で、合理主義者のラクロワ氏と、慈愛の人だった父の価値観は余りにも違う。暮らしが豊かになるほど、ヴァルターの心の中に虚しさがつのり、学内で問題を起こして、家にも居られなくなる。

そんなヴァルターに道を示したのは、たまたま目にした商船学校のポスターだった。運命の女神に導かれるように、ヴァルターは商船学校に進学し、ラクロワ邸を出て自力で生きていく決心をする。

洋上の特別研修で、潜水艇プロテウスの潜航をを見学したヴァルターは、豊かな深海の世界に魅了され、潜水艇のパイロットを志すが、一方で、壊滅した故郷フェールダムで、幼馴染みらが中心となって復興ボランティアに取り組んでいる事を知る。

六年の歳月を経て、ようやく洪水の悲劇と向かい合う決意をしたヴァルターの胸を打ったのは、一向に再建が進まぬフェールダムの惨状と、「創造的であることが、あらゆる苦悩から我々を救ってくれる」という教授の言葉だった。

このパートは『第一章・運命と意思』の抜粋です。作品詳細はこちら

海洋学部に進んで半年が経った頃、彼はたまたま通りかかった工学部のキャンパスで一枚のポスターに目を留めた。

《God schiep de Aarde, maar de Nederlanders schiepen Nederland(世界は神が創り給うたが、ネーデルラントはネーデルラント人が作った)》

何かと思って目を凝らせば、ネーデルラントの治水に関する講演会の案内だ。招かれたのはアムステルダム工科大学の有名な教授で、ネーデルラントの治水機関にも幾多の助言を与えている。

彼も十九歳になり、今では父の死や生き様と正面から向き合う余裕もある。プロテウスのパイロットになるという目標に燃えているせいか、悪夢にうなされる回数もめっきり減った。

そんな彼が生涯かけて理解したいのは、あの晩、堤防を守りに戻った父の気持ちだ。十三歳のあの日からずっと、彼の胸には複雑な気持ちが渦巻いている。どれほど自分に言い聞かせても、自分と母を置いて堤防を守りに戻った父への疑念を払拭することができない。「父さえ生きていれば、こんなことにならなかった」という恨み節が頭をもたげる度、俺はなんと恩知らずで薄情な子供なのかと自分を責めずにいなかった。

だが、いつの日か、堤防を守りに戻った父の気持ちを理解し、自分の精神の一部にできれば、本当の意味で父の死から立ち直れるかもしれない。もう二度と泣いたり、傷ついたりしない。鋼の心を手に入れて、誰よりも強くなるのだ。

彼はきっかけを求めて講演会に赴いた。

学生ホールの教壇に、毛虫のような口髭を生やした教授が現れると、学生たちは「ぷっ」と笑いをもらしたが、彼は最前列で食い入るように耳を傾けた。

講義はネーデルラントの諺と治水の歴史から始まり、Anno(アンノ) Domini(ドミニ)の時代、幾度となく沿岸を襲った大洪水、それに続く国家的治水事業『第一次デルタ計画』と大堤防建設、近代技術の粋を集めたハイテク堤防、UST歴になってからの水監視システムや堤防補強事業に関する資料などが次々にプロジェクタに映し出された。

「しかしながら、一八四年二月二十二日、再び悲劇がゼーラント州の沿岸地帯を襲いました。数千年に一度と言われる大型低気圧の接近により、異常な高潮と河川の増水が発生し、堤防や水管理施設の補強対策が遅れた一部地域で、冠水や堤防決壊など深刻な被害をもたらしたのです」

大型プロジェクタに、完全に水没したフェールダムの沿岸部、濁流に呑まれる車や家屋、土砂に埋まった運河と排水施設、陥没した河川敷や道路などが次々に映し出され、最後に決壊したフェールダムの締切堤防が大写しになると、彼は目を背け、心臓が押し潰されるようなショックを受けたが、大きく息を吐き、気持ちを整えると、しっかり瞼を開いて、父が命を懸けて護ろうとした堤防の最後を見届けた。

救援ヘリが上空から撮影した写真では、堅固なコンクリート堤防が真ん中辺りで幅二〇メートルにわたって崩れ落ち、茶色い濁流がジェット噴射のように河口から海へと流れ出している。それはさながら人々の祈りと希望を完全に打ち砕く悪魔の一撃に見えた。

だが、教授は力を込めて言う。

「現在、ネーデルラントでは、老朽化した堤防や排水施設を中心に『第二次デルタ計画』が進行し、未来に向けた新しい国づくりが始まっています。いつの日か、この堤防も再建され、美しい干拓地が蘇るでしょう。ゼーラント州の記章に刻まれた《Luctor et Emergo》のモットーのように。『水を治め、大地を現す』ということは、自らの手でLa vie( 人生 )*42を勝ち取ることなのです」

講演が終わると、彼は廊下で教授を捉まえ、オランダ語で「非常に感銘を受けた」と伝えた。教授は彼が同郷であることに気づくと、どうしてマルセイユで勉強しているのかと尋ねた。自分も被災者の一人であり、土木技師の父親を亡くした経緯を語ると、教授はうんうんと頷きながら、あの晩、各地で多くの作業員が命を落とし、今はその遺族や元住民が中心となって復興ボランティアに取り組んでいることを教えてくれた。

「人間とは乗り越えられるものだよ」と髭の教授は言った。「創造的であることが、あらゆる苦悩から我々を救ってくれる。傷つき、苦しむ自分を恥じなくなった時、本当の意味で君は悲劇から自由になれる」

その後、教授は学内の関係者に声をかけられ、慌ただしくその場を立ち去った。

だが、彼は『自分を恥じない』という言葉を強く噛みしめながら、今度こそ現実と向き合う覚悟を決めたのだった。

【リファレンス】 ニーチェと『悦ばしき知識』

「人間とは乗り越えられるものだよ」「創造的であることが、あらゆる苦悩から我々を救ってくれる」というのはニーチェの言葉のアレンジです。ここでいう『創造』とは絵を描いたり、作曲したり……という創作ではなく、「ゼロから価値あるものを打ち立てる」という意味です。

ニーチェの名言もいろいろありますが、特に好きなのが『悦ばしき知識』に収録されたこの一文。

体得された自由の印は何か? ――もはや自分自身に恥じないこと。

第三章の275節に収録されています。

一部を抜粋。

二六八

英雄的にさせるのは何か? ――自分の最高の苦悩と最高の希望とに向かって同時に突き進んでゆくことがそれだ。

二七〇

お前の良心は何を告げるか? ――「おまえは、おまえの在るところのものと成れ」

二七三

お前は誰をば悪と呼ぶか? ――いつもひとを辱めようとする者を。

二七四

お前にとって最も人間的なことは何か。――誰をも恥ずかしい思いにさせないこと。

二七五

体現された自由の印は何か? ――もはや自分自身に恥じないこと

ニーチェについては、上記の関連リンクにもたくさん記載しています。ぜひご参照下さい。

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この作品を書いた人

石田朋子のアバター 石田朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。1998年よりWEB運営。車とパソコンが大好きな水瓶座。普段はぼーっとしたお母さんです。東欧在住。

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