どこの世界も、物事の成否を決める鍵は『人事』です。
適材適所の配置はもちろん、指導、異動、報奨、抜擢、等々。
誰を、どこに、どのように使うかで、技術や資本の価値も変わってくるといっても過言ではありません。
どれほど潤沢な資金に恵まれても、経理が無責任では務まりませんし、どれほど優れた技術や設備を有しても、現場が使いこなせれば意味がないからです。
事業は人に生かされ、人に潰される、典型例。
わけても難しいのは部下の育成ではないでしょうか。
本作では、『拾いの神』と称されるアル・マクダエルと、やさぐれた海賊みたいな潜水艇のパイロット、ヴァルターの、本音丸出しのやり取りが見どころの一つですが、ちょとと嫌みが過ぎるのではないかという言動も、相手が発奮するタイプと見込んでの話。そのくせ陰ではしっかりフォローする。決して言いっぱなしの上司ではありません。
またヴァルターも反発しながらも、聞くべきところは聞く。その素直さが彼の可能性であり、資本なんですね。
もちろん、そうと分かるまで時間はかかる。
だから下記のように同僚に愚痴をこぼしたりもします。
最終的にボツにしましたが、接続ミッションを前に、屋上でビールを煽りながら、不安な心情を吐露します。
「そういうお年頃なんだよ。オレも、ダグも、マードックも、みんなそういう時期はとおに通り過ぎて、十年、十五年の歳月を重ねてる。今日ダグが言った、『ここで必死でやってきた充実感』というのは本当だ。お前の目から見れば、都合良く使われる犬みたいに感じるかもしれないが、オレたちはオレたちなりに、ここで働く意味を見つけてやってきた。金もない、名前もないけど、みんなで力を合わせて世界唯一の採鉱システムを完成させたという自負はあるよなぁ」
フーリエがぐうっとビールを飲むと、マードックも頷き、
「ゆっくり、焦らずに、考えればいいんだよ。まだ若いんだし、ここにも来たばかりじゃないか。一足飛びに何かしよう、何かしなきゃと思っても無理だよ。意味なんて、今日明日に見つかるもんじゃない、僕だって、腹の底から親父の仕事を手伝おうという気になるまで十年かかった。それまではアルクマールに帰ることばかり考えたんだからね」
「そうそう。一朝一夕に何かを為した人間なんて無いよ」
「それも頭では分かってるんだがね」
「お前、いつも理事長にコテンパンにやられて、それで余計で焦ってるんだろ」
「それもある」
「だがな、あの人は、良い意味で、今すぐお前に何も期待してないと思うよ。本当に今すぐお前に結果を求めてるなら、具体的に目標を掲げて、あれしろ、これしろ、と指示するさ。たとえば、どこそこのデータを取ってこいとか、これを文書化しろとか。そして、その方がうんと簡単なんだよ、指導する側にとってはね。まさに犬の調教と同じだ」
「そうそう。お前、二言目には『犬』って言うけどな、本当に人が『犬扱いする』ってことは、何も考えさせないことだ。指示だけ与えて、やるか、やらないか、それだけで判断する。でも理事長はそうじゃない。お前にあれこれ考えさせる。『考えさせる』ってことは、人間扱いしてる、ってことだ。こんな気の長い調教はない」
「だけど、俺は何度も犬呼ばわりされたんだぞ?」
「わざとだよ。……わざと刺激してるんだ」
「何の為に?」
「だから、考えさせる為に、だよ。今、お前の頭を撫でて、いい子いい子してやれば、それなりの結果は出すだろうけど、そこまでだ。それこそ『褒め言葉』という餌に釣られる犬になる。そうなって欲しくないから、考えさせるんだよ。お前が自分で気が付いて、本気で何かしようという気になるまでな」
「だから、テスト潜航のことも、ソリューションサービスのことも、提案したじゃないか」
「でも、そこまで熱を入れて言ってるわけじゃないだろ? 『本気』ってのはさ、何が何でもやらねばならぬ、誰が何と言おうとやり遂げてみせるという、固い信念を言うんだよ。マクダエル理事長みたいに、調査船が座礁しようが、資金繰りに行き詰まろうが、MIGの幹部会で槍玉に挙げられようが、絶対に、絶対に諦めない、十年、二十年かかろうと、アステリアの海の可能性を信じて死に物狂いで努力する、あれを『本気』と言うんだよ。お前みたいに、ダグやガーフィールドにちょいと気押されたぐらいで何も言い返せなくなってしまうような、そんなもんじゃないんだよ」
フーリエが断言すると、彼はぐっと唇を噛んで、星空を見上げた。マードックは彼に缶ビールを促すと、
「坊っちゃん、元気出せよ。理事長も何も無い砂浜にボートを繋ぐ一本の杭を打つところから始めたんだ。お前もさ、何か出来るよ、理事長ほどじゃないにしても、『何か』が見つかったら、きっと出来る。その為に呼ばれた。僕はそう思うよ」
「そうそう。焦らない。諦めない。そして希望を持つ。それが若さの特権」
彼はもう少しビールを口にすると、
「あんたら、いい人だな」
とつぶやいた。
「お前もいい奴だよ」フーリエが彼の頭を撫でる。「今日のミーティングみたいにさ、もっと素直に自分の考えてる事とか、気持ちとか、人に話せばいいんだよ。オレも、ダグも、多分みんな面食らったけど、『ああ、そんなこと考えてたんだ』って、分かったからな。オレなんか、側で聞いていて、何となくお前の好きにさせてやりたいという気持ちにもなった。まあ、金と時間のかかる事だから、同情だけでお好きにどうぞ、とはいかないけれど、そうやって周りの人間の気持ちを動かすことも大事だ。いつか本当に大きな事をやろうと考えてるなら、尚更な……おい、坊っちゃん、聞いてるのか」
フーリエが彼の頭をこんこんと突くと、彼の上体は大きくマードックの方に傾いた。
「こいつ、寝てるよ」
フーリエが彼の手の中の缶ビールを確かめると、まだ半分以上残っている。
大の男にもたれられたマードックは苦笑しながら彼の身体を少し後ろにずらすと、フーリエと目を見合わせ、缶ビールで乾杯した。
これに関連する場面で、マードックとヴァルターの会話に次のようなものがあります。
「俺を潰す、って?」
「そうそう。お前、ちょっと自分の考えに凝り固まってるところがあるだろ? それを平らに潰して、もう一度、鍛え直すんだよ」
『潰す』といえば大層な感じがしますが、実際、穴だらけのバケツでガンガン水を汲んで、「おかしい、ちっとも成果が上がらない」「頑張ってるのに、しんどい」という人はたくさんいます。一つでも穴を塞ぐ努力が必要なのに、とにかく回数さえ増やせば、水がいっぱいになると思い込んでいる。
それと同じで、一度、出来上がった型を潰さないことには、再生できないものもあります。
ダンスでも、スポーツでも、基本のフォームが誤っていれば、後にどれほど練習を重ねても、上達することはありません。腕が曲がったまま、あるいは、背中が丸まったまま、飛んだり跳ねたりしても、決して美しくは見えません。スポーツでも、誤ったフォームである程度は勝ち上がっても、強豪と対戦すれば、たちまち脇を抜かれて敗北を喫するし、それ以前に、関節や筋肉に無理な力がかかって、故障してしまうでしょう。
そんな時、どうするか。
身に付いたフォームをリセットして、一から学び直すしかありません。
過激な言い方をすれば、「自分を潰す」ということです。
仕事や勉強も同じ。
どこかで基本のフォームを間違ったら、元から正す以外に成長の近道はありません。
英語の文法を誤ったまま、どれほど語彙を詰め込んでも、ビジネスや学術の世界では通用しないように、生き方も、人との付き合いも、本当に成果を上げようと思ったら、誤ったままでは行き詰まるんですね。
また教える側も、相手に見込みがあるから、厳しくもなるわけで、最初から見込みの無い人に手取り足取り教えるような暇な人はないです。学校はともかく。
それをパワハラと取られては、誰も何も教えようがないし、聞く耳をもたずでは可能性の芽も詰んでしまうのではないでしょうか。
ちなみに、愛のある教育とパワハラの違いは、どこまで相手をフォローできるかだと思います。
相性もあります。
どこの世界も、良い師、良い弟子に恵まれる方が少数派でしょう。
何にせよ、一つだけ確かなのは、『良い師』というのは、自分が心を開いてはじめて巡り会える、ということです。